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創春館新聞 「さんぽみち」

 平成17年6月号

6月号 もくじ
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********** 今月のトピックス **********
端午の節句に兜を作りました
さくら箏による箏の演奏会
お母さん、ありがとう
~療養棟・通リハの母の日のイベントより~
あかしあの里・わきあいあい便り
ゆめさき便り
今月のリハビリ敢闘賞
投稿作品
********* 名倉院長の健康豆知識 *********
貴ノ花の死に思う事
*********** 6月の行事予定 ***********
********* 編集後記【あしあと】 *********
  
 

 

端午の節句に兜を作りました

通所リハビリ
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 5月5日、通所リハビリでは、端午の節句のお祝いを行いました。
利用者の皆様、職員も童心に帰り、新聞紙、折り紙やペンなどを用い、世界で一つだけの個性的な兜を作り、 それぞれに勇ましい作品が完成しました。
 また、こいのぼり送りゲームでは、各々50センチ程の棒を持ち、紙で出来たこいのぼりを1チーム15人で2チーム毎に競い合い、 白熱した熱戦が繰り広げられました。
 皆様、子どもの頃を懐かしみ、思い出しながら、楽しい時間を過ごしていただけたようでした。

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さくら箏による箏の演奏会

5月7日、今回初めて、『さくら箏』という琴の会の方々による本格的な琴の演奏会を開催しました。
 当日は、「荒城の月」「陰を慕いて」など皆さんが知っている曲や古典的な「花いかだ」「千鳥の曲」など様々な曲の演奏、 琴に合わせた歌の披露をして下さいました。
 品があり優雅な琴の奏でる音色、ゆるやかに時間が流れていくようで、気持ちが落ち着き、皆さん聞き入っていらっしゃいました。



お母さん、ありがとう ~療養棟・通リハの母の日のイベントより~

療養棟三階
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 療養棟三階では、5月8日に母の日のイベントを行いました。
 日頃の感謝を込め、職員より利用者様へ感謝状を送らせていただきました。 一人一人にお渡しすると皆様とてもうれしそうに感謝状を受けとっていただけました。中には涙を浮かべ「ありがとう」 といって下さる方もいました。最後に、職員よりカーネーションをプレゼントさせていただき、 カーネーションと一緒に写真をたくさん撮りました。終始、皆様笑顔でとても楽しい一日となりました。
 今回は、母の日ということで女性の利用者様が中心となってしまいましたが、来月には父の日のイベントを企画していますので、 男性の利用者様は楽しみにしていてください。


療養棟二階
 5月8日(日)に、 療養棟二階の食堂にて、女性入所者の皆様に日ごろの感謝の気持ちを込めて「母の日イベント」を行いました。
 開会の挨拶に続き、女性入所者の方々に、若い頃の楽しかった話や、子育て、苦労した事等を話していただきました。 皆真剣な顔つきで聞き入っていました。次に男性入所者から自分のお母さんの事や、昔苦労した事等が話されると、 若い頃を思い出したのか涙を流しながら聞いている方もいて、会場が感動でいっぱいになりました。
 続いてスタッフによる歌のプレゼントでは、林 進一(?)の「おふくろさん」、一木 ひろし(?)の「よこはまたそがれ」が披露され、 一同大爆笑でした。
 最後にメッセージカードを女性入所者全員にプレゼントし、あっというまに一時間が過ぎました。笑いと涙ありの母の日になりました。


通所リハビリ
 5月9日、通所リハビリでは母の日のイベントとして『大似顔絵大会』を行いました。
 当日は、利用者様同士の交流を図るため、合い向かいに座られている方のお顔を描いていただきました。 普段じっくりとお互いの顔を見ることがないため、お互いを改めて知ることが出来ました。「下手だから」 と言いながらも笑い声を上げながら楽しそうに描き、皆さん特徴をとらえた素敵な似顔絵が完成しました。 最後に、 母にちなんだ曲を皆さんで歌い、男性職員が「肩たたき」を歌いながら女性利用者様の肩をたたき、母たち利用者様を労いました。


あかしあの里・わきあいあい便り

あかしあの里II
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 あかしあの里IIでは、 5月2日に外食を兼ね子持村の白井宿へ八重桜を観に出掛けて来ました。少し風の強い日でしたが、桜の花も見頃で「綺麗だね。」 「来年も来れるといいね。」と、話されていました。昼食には、ふれあい館にて手打ちそばと天ぷらのセットを食べ、 入居者の方々も新鮮な気持ちで味わって来ました。「また、皆で来ようね!」と楽しいひと時を過ごす事が出来ました。


あかしあの里I
 あかしあの里Iでは、 5月18日に赤城ふれあいの森へ、お弁当を持参し出掛けて来ました。あいにく寒い日となってしまいましたが、 入居者の方々も楽しそうに美味しそうにお弁当を召し上がり又、八重桜を観て回り、森の緑を満喫して来ました。


あかしあの里III
 あかしあの里IIIでは、 5月26日に敷島のバラ園へ出掛けて来ました。平日にも関わらず大勢の花見客が居て、入居者の方々も驚かれた様です。そんな中、 私達はのんびりと散歩しながらバラ園内を一周し、バラの美しさを目に焼きつけ、気持ちもバラ色になり帰って来ました。帰りには、 皆さんの一番大好きなお寿司を沢山食べて来ました。


デイサービス わきあいあい
 デイサービスでは、5月24日・25日と敷島のバラ園へ出掛けて来ました。 沢山のバラが咲き誇り五月の風と共に良い香りがする公園の中を元気良く散歩して来ました。利用者さんも「綺麗だね。」「良い香りだね。」 と立ち止まり、そっと顔をバラの花に近づけて、とても嬉しそうでした。又、色々な種類のバラがある事に感激した様子でした。



ゆめさき便り

デイサービスセンターゆめさき  
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デイサービスゆめさきでは、5月18・19日に、 おやつ作りとして、たこ焼き作りをしました。去年もたこ焼きを作ったことがあり、好評だったため引き続きの実施です。 利用者の人数も増え、皆様に満足していただけるか、とても不安でした。粉を混ぜるところから利用者の方にやってもらうと、 おやきの話などが出てきて、昔の話が飛びかいます。焼く場面になると、手馴れた職員の焼く姿をみつめ、自分がかかわった分、 焼き上がりを楽しみにしているようです。香ばしいにおいがただよってくると胸を躍らせ、「いただきまーす!」焼き15分、 食べるの1分と、あっという間に食べてしまいました。よほど美味しかったのか、「毎日してくれたら、毎日来るよ」 といっていたのが心に残ります。そんな言葉をもらえると、今回の企画をしてよかったと思いました。
 次回も皆さんと一緒にでき、喜んでいただけ、職員も楽しめるおやつ作りをしたいと思います。



グループホームゆめさき 
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グループホームゆめさきでは、5月8日に家族旅行で宮城町・フラワーパークへ行って来ました。
 当日は、天候にも恵まれ、公園内もさほど混んでなく、ゆっくりと見学することができました。正面入り口を入ると、 赤や黄色のたくさんのチューリップが出迎えてくれました。
 集合写真を撮った後は、それぞれご家族の方と自由散策となりました。奥に進むとチューリップは終わっていましたが、 パンジーや早咲きのバラ、名も知らない5月の花々が見事に手入れされていました。上の方に進むと熱帯園があり、 日本ではあまり見ることのできない珍しい南国の木々や花々が競うように咲き誇っていました。大きなバナナの木には、青いバナナが実っていて、 誰かが味見した後がありました。「誰かが食べたんかねー、甘かったんかしらねー」と、会話も弾みました。
 昼食は、ご家族とそれぞれ好きなものを召し上がり、帰りにはショッピングセンターでお土産を買い、楽しい一日を過ごし無事、 ゆめさきへ戻ってきました。



投稿作品

国定忠治一世一代の大罪大戸の関所破り
                    坂本 正之助
 忠治一行は勘坊を加部安左エ門に快く引き受けて貰い、 安左エ門は忠治に「宜しゅうございます。」と「私が真実をかけてこの子をきっと堅気に育てて上げます。」と言われた。 忠治は心からお礼を述べて勘坊に「いいか勘坊。今日から加部の旦那がお前の親ともなり、主人ともなさって下さるお人だよ。 いいかよく言うことを聴いて可愛がってもらい、立派に育ってくれよ。」と言い聞かせて、「お前とは一緒にいられない兇状持ちなんだ。」 と泣いて後追う勘坊と、後ろ髪引かれる思いで加部安左エ門の家から忠治一行は出た。何処から何処へ行くのか当てもなく出たが、 二十数人が旅をすると人目にもつき、また役人衆の目につく事から、この先この人数で旅をする事は出来ないと、 忠治は三途川牛石崖から地獄谷越えて、漸く鈴ケ嶽から渋川に入った所で忠治は「皆の者、名残惜しいが、 所々で別れようとこの先何処に行こうとも、堅気に迷惑を掛ける様な事はしてくれるな。人から後ろ指差される様な事はしてはならない。」 と忠治は子分達にくれぐれも伝えた。そこで日光の円蔵を代表に他の子分達も「親分、あっしらは何処までも親分をお供します。」 と忠治に言うと、忠治は「その志は有難いが、この先この大勢では旅は出来ない。皆の者解ってくれ。」と、 そこで忠治は懐にあった三百両を取り出して皆の者に平等に分け与えて別れる事にした。子分達は行き先を定めてからそれぞれが「親分、 くれぐれもお達者で。」と、涙ながらに別れを告げた。そこで忠治はこれから先、信州に向うには大戸の関所を通らねばならぬ。 一人では困難と思い、日光の円蔵、清水の頑鐡、三木の文蔵、板割の浅太郎に止まるようにいうと「へい、わかりやした。」 と四人は忠治の所に足を止め「親分。これから先、どちらへ。」と清水の頑鐡がいうと、忠治は「信州の方へでも行こうかと思い、 それには大戸の関所を通らねばならないので、一人では困難と思い手前達を道連れにとな。」そこで三木の文蔵が「有難うござんす。 これで親分と別れなくてすみました。」忠治は「何を言う。俺は一人でも道連れにする事は出来ないと思っていたんだ。今日か明日かの命。 あれを見ろ。他の者達はみんな散ったじゃないか。」やがて木の葉の散る如く、離れ離れの三度笠、夕焼け空を振り仰ぎ、 渡る雁がね乱れて鳴いて、明日は何処の塒やら、またも騒ぐか夜半の風。さて、 忠治はお供になった四人の乾分を連れて信州路大戸の関所を目指して旅に出た。 渋川から三国裏街道より大戸の関所に着いた時刻は夜の九時頃であった。所々で関所を通り抜けるには通行手形が無ければ通る事は出来ないが、 手配中の忠治に通行手形などある訳がない。そこで忠治はこの関所を通らねば信州には行く事は出来ないと、 日光の円蔵達四人を従え関所役人供と抗争を交えた。そして役人供を追い散らし、難なく大戸の関所を通り抜け信州に向けて旅に出たが、 忠治へのお上の追及は益々厳しく、人相書は全国に手配された。忠治一人なら逃げられるが、子分を連れての五人の旅では怪しまれて困難である。 ここで忠治は供に犯した乾分達、所々でバラバラになって例え一人になっても、腕に自信のある者であるから心配無いと、信州小諸に着いた時、 それぞれ四人と別れる事にした。お互い達者でいられるならば、又の再会を誓って別れる忠治は、 一人旅で間道を山伝いに木曾に出ていくうちなら、 狩宿鎌原大笠鳥居峠を越えて大笠街道を須坂長野に抜け留まり場となった善光寺で賑わう歓楽の町椎堂で忠治は一夜の宿をとった。 忠治は上州を追われ、大戸の関所破りの大罪を重ねての兇状旅で、薬売りに扮しての旅である。椎堂といって思い出すのは、 先に述べた山形屋藤蔵映画やテレビでもお馴染みの国定忠治山形屋藤蔵の、忠治が父娘を助ける胸をすくようなシーンである。 忠治は所々椎堂に草鞋を脱ぎ、時の様子を見る事にした。椎堂にはすでに天保初年に、この椎堂に根を下し一家を構えた邑楽郡大久保村 (現板倉町)生まれの上総屋源七と名乗る上州博徒がいた。忠治より二十二才の年長者で、 まさに無宿渡世の両界を渡り歩いた顔役中の顔役であった。忠治は宿の主人から耳にして上州屋源七を訪ねた。「御免なすって。手前、 上州佐位郡国定村の忠治というお手配中の者でござんす。」と源七の前に頭を下げると、忠治ほどの大物である、 源七には兼ねがね耳に入っていたので快く忠治を迎えて、真れて下へもおかぬ持てなしを受けて「宜しかったら何年でもかくまいも致しましょう。 」と忠治は源七に四年間かくまって貰い、ほとぼりの覚める頃と思い、忠治は長い間お世話になった源七にお礼を述べて、 生まれ故郷の国定村に帰った。四年ぶりに帰った忠治には円蔵や浅太郎ら股肱の子分の哀れの最期の知らせばかりで、 盛時の威勢を取り戻すには所詮無理であり、この先忠治一人の身の上は誰が庇う者がいるであろうか。次回のさんぽみちでお話します。




随筆
                   酒井信江

 学ぼうとする人の心は学ぶべき人物や事柄をつぎから次と見つけ出す。ご存知の人気者、 京都の尼僧であり作家の瀬戸内寂聴先生の源氏物語でありますが、私達にも面白さを与えて下さる翻訳の素晴らしさとその能力は、 次から次と深山の泉の如く美麗で良い味を知る事が出来ました。若い頃知りました良寛和尚の作でしたが、 良寛と子供と手鞠の物語を尼僧寂聴先生のお話と同時に想い出す近頃です。良寛大和尚は多くの人々にいくつもの名を持たれたことに、 私達老人は今も話題に残されて居ります。一に『越後の良寛和尚』二は『出雲崎の名僧良寛さま』又は『五合庵の或る日の良寛』とか、 他にもいろいろ多くの事がありますが、忘れることの出来ない詩が御座います。それは私達の人生に生き方を諭された唯一の詩で御座います。
 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ とありました。
 過去の事で詩の説明を伺い知ることが出来た嬉しい日が訪れたのでした。人生みな生まれ乍らにして善人であり他人の為に動く生物です。 そして与えられた生命の天寿をまっとうするそのために生まれた言葉が、日頃誰でも盛んに使う一生懸命である。 各々一人一人が生きられるだけ生き抜いて、或る日最終日が来るまで出会いが出来た多くのみなさんと、 あるときは信頼し合い己の裏の心も仲間に見せ合って嬉しさを作り、もみじの葉の如くときの吹く風にも乗って裏と表を見せながら、 はらはらと散り落ちて土に戻りなさいと諭されたのです。


害をなす 虫にはあれど かたつむり 
    殻背負ふゆえ 経にも歌にも

渡り来て ふる巣に入りし よろこびか
   かっこう鳥が 夜もすがら鳴く
             山本せい子

籠鉢に 溢れむばかりの 赤いバラ
 「母さんありがとう」の ラベル貼られる

五十年 支えてくれた わが妻の
     労苦思いぬ 今がお返し

肩重し 場所をこもごも 語いいる
     昨日と同じ 妻との会話

親よりも 長く生きゐる 人生に
    苦は楽よりも 多き想い出

子供には 世話にならむと 誓いして
   病めば気弱く 子等を待ちをり
            影山 えいじ

坂本さま、酒井さま、山本さま、影山さま、ご投稿ありがとうございました。
これからもご投稿お願いします。

 

 

名倉院長の健康豆知識

貴ノ花の死に思う事 
 先日亡くなられた大関貴ノ花と私は同い年なんです。 そして、私達が21歳から23歳にかけて、同じ東京は阿佐ヶ谷に住み、彼は阿佐ヶ谷のマンションで甘い新婚生活を始めたばかりの頃であり、 私はと言えば、今にも倒れそうな、会社の寮を改造した木造のおんぼろアパートの六畳一間に下宿するバンカラ学生の身分でした。 このおんぼろアパートのすぐ隣に、初代若ノ花が興した二子山部屋があり、私と貴ノ花は時々顔を合わせることがあったのです。ある早朝などは、 私がラケットを抱え、早朝練習で女の子を口説こうとテニスコートへ向かう阿佐ヶ谷駅までの道中で、 雪駄に着流しの貴ノ花が鼻歌まじりで歩いてくるのに遭遇しました。すれ違いざま、鬢つけ油の臭いがぷんと漂い、実際に相撲取りに会うと、 さすが男芸者と言われるだけのものがあり、何とも言えない男の色気を感じたものです。振り返ってみれば、あの頃貴ノ花は愛する伴侶を獲得し、 出世街道を突き進む最も幸せな青春の時期であったに違いありません。それに比べて、あの頃の私には、テレビも冷蔵庫も風呂もなく、 トイレは共同で、苦悩に満ちた青春のデカダンスを、読書とテニス、そして女の子と逢瀬を重ねる事でまぎらわす、そんな青春の日々でした。 あれからお互い約30年の月日が経ちました。55才と言えば昔であれば定年を迎える年であり、 そろそろ亡くなっていく人を見送る事があってもおかしくない年になったのかもしれませんね。
 貴ノ花が亡くなられる原因となった口腔底癌は、舌と歯ぐきの間にできる癌です。初期の症状としては、硬いしこりが触れるのみですが、 なかには冷たかったり、辛かったり、酸っぱい食べ物を食べた時、しみる様な痛みを感じるだけの人もいます。口内炎の症状と似ている為、 なかなか治りにくい口内炎の場合、一応癌も疑う必要があります。口内炎の場合は触るとぶよぶよとやわらかいが、 癌の場合は硬く触れるというのが、一つの鑑別方法です。癌細胞の種類は、その癌が発生する場所に従って様々な種類に分かれますが、 口腔底癌の場合、扁平上皮癌という癌だと考えられます。このタイプの癌は放射線や化学療法の効果がないケースが多く、治療としては、 手術による癌組織の摘出が根治療法(腫瘍がごく小さい場合は放射線療法も可)となります。 従ってマスコミなどから貴ノ花が口腔底癌で放射線及び化学療法を実施中との事を聞いた医療関係者の大部分が、 今回の事態を予測していたでしょう。しかし、調べてみますとこの癌はしこりの最大径が四センチを超えても、リンパ節転移 (大部分は頚部リンパ節)がない場合、五年生存率60%というデータがでています。 この事は早期に見つけて治療を行っていれば極めて予後のいい癌で、死ぬ事はない癌と言えるでしょう。貴ノ花の生涯を思う時、 口腔底癌の原因の一つになったであろうタバコをやめていればとか、 早くからしこり症状に気付いていたであろうに何故もっと早く医療機関を受診しなかったのか、等々繰り言がでてきますが、 反面そうした教科書的な正論を論じても無意味な気もしています。相撲界に入ってからの一直線な彼の人生は、 ある必然へと導かれる様に死への道を歩んでしまったようにも感じられるからです。名大関へと至る名声と苦悩、 二人の横綱を育てあげた栄光と家庭面での挫折、これらの人生ドラマが不可避的に彼の生涯を決定づけたと考えるなら、 医療の介入する余地はあったのでしょうか。人は意識的にこうした運命的な死に至る連鎖をどこかで絶ち切る事が可能でしょうか? 人生の早い段階で、自分自身の死というものを真剣に見つめる時間があれば、人生の優先順位を間違える事なく、 不慮の死を予防することができた可能性があると考えていますが、そうした時間を持つ事ができないとしたら、 それもまた運命なのかなと慨嘆してしまうのです。
 貴ノ花の死を契機として、彼の子供達や家族が、人生において何より大切なものは、富や名声ではなく、家族の健康と融和であり、 それこそが人生の優先順位の第一位にあげられるべきものだという事に早く気付いて欲しいと思います。
 

 

6月の行事予定

 

通所リハビリ
10日
南橘ハーモニカクラブコンサート
16日
関先生の音楽教室
17日
一柳先生の絵手紙教室
18日
父の日のお祝い
20日
民謡踊り教室
25・27・28・29日
誕生日会
療養棟2階
2日
斉藤先生の音楽教室
9日
買い物ツアー
15日
夢を叶えるツアー
22日
おやつ作り&父の日
29日
お誕生日会
療養棟3階
9日
買い物ツアー
16日
誕生日会
19日
父の日感謝会
23日
おやつ作り(大学いも)
あかしあの里1
8日
ドライブ
13日
バラ園へ
19日
父の日
20~24日
買い物ツアー
27日
赤堀の菖蒲園へ
あかしあの里2
2日
おやつ作り
9日
ドライブ
19日
父の日(お赤飯作り)
20日
外食会
あかしあの里3
13日
おやつ作り(どらやき)
日程未定
あじさいドライブ
日程未定
買い物ツアー
DSわきあいあい
日程未定
父の日イベント
日程未定
あじさい見学(渋川方面)
日程未定
外食ツアー
GHゆめさき
1日
大室公園ピクニック
4日
生花教室
12日
誕生日会
18日
生花教室
29日
紙芝居
ゆめさきDS
10・11日
おやつ作り
15・16日
映画上映会
18日
父の日イベント
20~22日
ドライブ
24・25日
誕生日会

 


 

編集後記

さんぽみち6月号いかがだったでしょうか?
 桜やたくさんの花々が咲き誇った季節も終わり、暑い日が続きますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 
 4月に入職した職員も少しは仕事にも慣れてきたようですが、皆様にご迷惑をかけていないでしょうか?
 さて、今月より新しい委員で新聞を発行してまいります。
これからも皆様に楽しんでいただけるよう努力してまいりますので、皆様からのご意見・ご要望、そしてご投稿を心よりお待ちしています。
委員は次のとおりです。
根岸・新井(医事・事務)
山川・常木(通所リハ)
沼田・冨澤(療養棟二階)
小渕(療養棟三階)
中澤(あかしあの里・わきあいあい)石関(ゆめさき)
                         《広報委員 石関》