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創春館新聞 「さんぽみち」

 平成17年7月号

7月号 もくじ
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********** 今月のトピックス **********
素敵な音色や歌声が館内に響き渡りました
療養棟三階の誕生日会
お父さん、ありがとう
~療養棟二階・父の日のイベントより~
あかしあの里・わきあいあい便り
ゆめさき便り
投稿作品
********* 名倉院長の健康豆知識 *********
夏の思い出
*********** 7月の行事予定 ***********
********* 編集後記【あしあと】 *********
  
 


 

素敵な音色や歌声が館内に響き渡りました

~関先生の音楽教室・ 南橘ハーモニカクラブより~
  
関先生の音楽教室
 6月16日、 通所リハビリ恒例の『関先生の音楽教室』が開催されました。
 今回は、初夏や梅雨(雨)に関連したものを選曲してみました。関先生の軽やかなエレクトーンの伴奏に合わせ、大きく口を開け、 大きな声で合唱していました。中には、目まで大きく見開きながら歌う方もいらっしゃいました。常に先生は「お腹から声を出しましょう!」 と指導して下さいます。そうです腹式呼吸=健康法です。歌は「健康法」の一つなのですね。これからも歌う時は「腹式呼吸」 を意識しながら大きな声で明るく楽しく元気に歌いましょう!
 皆様、子どもの頃を懐かしみ、思い出しながら、楽しい時間を過ごしていただけたようでした。
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南橘ハーモニカクラブ
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 6月10日(金)穏やかな陽気の午後、通所リハビリルームに美しいハーモニカの音色が響き渡りました。ソプラノ、テノール、 バスとパート別に様々なハーモニカを使い、まさに絶妙な音色・ハーモニーを奏でていました。
 利用者の方々に馴染みのある曲や童謡メドレー等約二十曲を時には軽快に、時には哀愁たっぷりと演奏して下さいました。 独奏でヨーロッパの曲が演奏されると、ヨーロッパの港町や登山鉄道の情景が目に浮かぶようで、中には一緒に歌う利用者の方もおられ、 拍手喝采、大盛り上がりの演奏会でした。



療養棟三階の誕生日会

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療養棟3階では、6月16日に誕生会を行いました。
 今月は2名の誕生者を迎え、さらなる長寿を願い職員の心のこもったメッセージを書き綴った色紙をプレゼントさせていただきました。 メッセージを読みあげ、利用者様に渡した時の素晴らしい笑顔がとても印象的で、大変喜んでもらえていることが私達職員にも伝わってきました。
 続いて、余興で行った空き缶積みゲームは大変盛り上がりました。空き缶を縦に積んでいくだけの単純なゲームでしたが、 普段あまり動くことのない利用者様が声を出して応援されたりと普段見ることのない姿を見ることができ、本当に楽しんでいる様子でした。 また利用者様だけでなく、介助をさせて頂いている職員も楽しみながら行えていたように思えます。  来月の誕生会も利用者様が心から楽しんでもらえるようにしたいと思います。


お父さん、ありがとう ~療養棟二階・父の日のイベントより~

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療養棟2階では、6月22日に、男性入所者の方々に日ごろの感謝の気持ちを込めて、『父の日』のイベントを行いました。
 女性入所者とスタッフより「今までたくさん働いてくれてありがとう。本当にお疲れ様でした。これからも宜しくお願いします。」の言葉と、 大学イモをその場で作り、プレゼントとして食べていただきました。
 女性の方々が大学芋を作っている間、男性の方々は、去年作った手作り梅酒を飲みながら、若い頃の苦労話や戦争の話をされ、 涙を流されている方もいました。
 女性の方々も「誰かの為に作る料理はやっぱりいいね」と楽しまれ、入所者、 スタッフ皆で楽しく思い出に残る父の日を過ごすことが出来ました。



 

あかしあの里・わきあいあい便り

あかしあの里III
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 あかしあの里IIIでは、 6月14日に入居者の皆さんと一緒にどら焼き作りを行いました。
 入居者の方々に生地を焼いて頂きました。小さい皮や大きな皮、丸い皮やいびつな皮など個性的などら焼きに仕上がりました。 作っている途中にあんこだけを「パクッ」と美味しそうに召し上がる方もいらっしゃいました。「柔らかくて美味しいね」 との声がとても多くとても好評でした。


あかしあの里I
「今、 敷島公園のバラが満開で見頃だ」という話が聞かれる中、私達は6月6日に敷島へ出掛けて来ました。
 ピークは過ぎていましたが、気温も高かった事もあって、バラも一段と咲き乱れ甘い香りも漂い、何とも言えない安らぎを感じました。 入居者の方々も「良い匂いだね」と喜んでいただき、スタッフ共々幸せなひと時を過ごす事ができました。その日の夜は入居者の方全員、 とても良く休まれたそうです。


あかしあの里II
 あかしあの里IIでは、6月23日に『源氏』へ外食に出掛けて来ました。
唐揚げ御膳と、デザートにはクリームソーダを頂き、「お腹がいっぱいだよ」と言われながらも「もったいないから・・・」 と普段以上に召し上がっている方もいました。今月、新しい入居者を迎えて初めての外食会でしたが、皆さん大変喜んで頂き、 また他の方と一緒に楽しく過ごす事ができたかと思います。
 毎月一度、入居者の方のリクエストも取り入れながら外食の機会を作って行きたいと思います。


デイサービス わきあいあい
 デイサービスわきあいあいでは、6月25日に子持村のふれあい館へ外食を兼ねてドライブに出掛けました。  天気も良く車内から咲き始めた紫陽花の花を観ながら向かいました。昼食のおそばと、 天ぷらを皆さんとても美味しそうに召し上がっていました。食後には公園を散歩して帰りました。 普段とは違った所での昼食で利用者の皆さんはとても楽しまれた様でした。


ゆめさき便り

デイサービスセンターゆめさき  
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デイサービスゆめさきでは、 18日に一日早い父の日のお祝いを行いました。当日利用の男性利用者の方々に、職員より 「いつも私達職員を見守ってくれありがとうございます」と感謝状を贈り、その後、 初めて父親になった時の感想や父親との思い出などを語っていただきました。最後に、 父親としての力を披露してもらおうと握力測定をして会は終了しました。
 20~21日の3日間は、渋川市方面へあじさい見学のドライブに出かけました。梅雨入りしていることもあり天候も心配されましたが、 ほとんど雨に見舞われず、楽しく見学することができました。ドライブのコースは、ゆめさきを出発し、 国道17号を進み渋川インター近くの中央分離帯にある白いあじさいを見学~通称・あじさい寺といわれている「真光寺」 のあじさいを見学~小野池あじさい公園を過ぎ渋川市民会館であじさいを観ながらお茶を楽しみ帰ってきました。 ほとんど車中からの見学となりましたが、久しぶりのドライブでもあり、皆さん楽しんでいただけたかと思います。
 24、25日には、6月誕生者2名の方の誕生日会を行いました。両日と利用者の方からお祝いの言葉を述べていただき、 主役のお二人とも喜ばれておりました。


グループホームゆめさき 
グループホームゆめさきでは、6月1日、 GHゆめさきでは外気を全身に浴びながら花菖蒲を見ようと、朝から張り切ってお弁当を作り前橋・大室公園へ外出に出かけました。
 入居者の方全員が参加され、2台の車に分かれ四十五分ほど春の花を車窓から眺めながら、「コブシ、木蓮、チューリップ、パンジー・・・」 と目に入る花の名前を言いながらドライブを楽しみました。
 大室公園には、白いバラや美しい花がたくさん咲き誇りとても綺麗でした。その中でお弁当を広げ、 皆で美味しいと話しながら美味しくいただきました。食後は、おしゃべりを楽しむ方、四葉のクローバーを探す方、 散歩して菖蒲や花壇の花を見に行かれる方とそれぞれ自由な時間を楽しみました。
 普段、広い場所で思いっきり羽を伸ばすことがあまり出来ないので、これからもたくさん外出する機会を作って行きたいと思います。 これからも、もっともっと入居者の皆様の笑顔が見たいです。


投稿作品

周零の忠治と女性の力シカンのお徳登場
                    坂本 正之助

 天保から弘化に年限が変り、弘化三年(1846)年の冬、忠治は四年ぶりに赤城の十区に戻った。先に述べたように忠治を待っていたのは、 股肱の子分の哀れな最期の不報の知らせだけであった。盛時の威勢を取り戻すには所詮無理であった。でも忠治は、 十区の賭場から寺銭を徴収したが、縄張り外の賭博場から寺銭をまき上げる力はなくなっていた。 忠治が生れ故郷の国定村に顔を出すと忠治親分が帰ってきたというので、我が家に戻っていた子分や関係者が集っては来たがその顔ぶれには、 かつての関八州に鳴り響いた武闘集団の面影はなかった。そうはいっても十区内では、いまだほとんどの人が忠治を尊び畏怖していた。 いかに忠治の存在は、いくら威勢は衰えたと云っても混沌とした幕末の上州村落社会においてまさに権威として通用したのである。 周零の忠治を迎えた子分は、同年配の国定村の清五郎格の八歳年長の重兵衛忠治の影になり、陽なたになり、 付き従う老境にさしかかった最年長の八寸村七兵衛たちであった。最期に残ったのは、 忠治が悪がきのころから仲間どうしの間柄にあった武闘よりは十区にあって老練な手腕で忠治を支える実務派であった。 表看板であった軍師の日光の円蔵や武闘派の浅太郎など一家の精魂がいなくなってみると、 今迄で忠治を影で支えていた子分や関係者が表舞台に登場してこざるを得ない。日光の円蔵や板割浅太郎に代わって、 悪党忠治の最期を見守る立派に演出することが残された者たちの手に託されたのである。
 昔日の勢力を失い弱腰になった忠治を奮い立たせるのに功のあった忘れてはならないものがある。それは女性の力である。 忠治には三人の女性がいたといわれる。正妻の妻のお鶴、愛三女のお町、それにシカンのお徳である。正妻のお鶴は忠治より二歳年上で、 長岡家と付き合いのあった佐位郡今井村(現 赤堀町)の桐生家から嫁いたといわれている。 忠治伝承では悪党忠治にひたすら仕えた従順な女性に描かれている。お町は忠治と同年で、田部井郡名主尾内小弥太の養女でいったん結婚して、 村を出たが離婚して帰村しているところを器量のよいお町を、忠治に見染められ愛三女となったといわれている。 幕末消費文化を反映した華のある美しい女性に想定されているお町については忠治磔刑処刑後忠治の弟友蔵と結婚していると人別帳に登録されているというがこれは定かではない。
 さて三人目の愛三女のお徳とは忠治より六歳年下で、三人の中でも若い男勝りの女である。お徳は有馬村(現 渋川市)の小農の娘に生れ、 二十一歳とときに五月牛村(現 赤堀町)の資産家千代松の家に月雇いの奉公人として入り、 二十四歳の時に千代松が正妻を追い出したのを幸いに後釜になり千代松が忠治の子分であったため千代松が、 その後病死したため四年にわたる信州方面に逃亡していたが、忠治が帰って来てお徳が二十四歳の若さで後家でいるのに不憫と思い、 弘化三年に出逢い以降愛三女の仲となり、このお徳が侠客国定忠治の最期を仕上げるのに大きな役割りを果たすことになった。 「シカンを以って愛さる」と評しているように他鳥を食い殺して生きる鷹・ 準ぶさのたぐいの猛鳥に擬せられ封建道徳から縁遠い自立した強い女性であった。 このお徳の強みは一町六反余りを所有する独立した地主経営者であったことである。千代松亡きあとの一家を切り盛りし蚕繁昌の経済動行を察し、 養蚕業を基盤に金融にも手を染めるやり手であった。軍師もおらず武闘派もいなくなった忠治一家にとっては頼りがいのある女丈夫であった。 忠治が国定村に帰ったとの噂が流れると、目明し岡引きが探索の目を光らせはじめ、 岡引が忠治はお徳の家に滞在しているに違いないと目明し岡引がお徳に家を訪れ忠治がいるとわかっているので強気に出て家宅捜索をおこなったが、 ところが家はもぬけの殻、忠治はどこへ消えたのか怒ったのはお徳で、家宅捜索をされて、 忠治がいないのに済まなかったで済まされないとお徳にさんざん糾弾された。だが其の後の忠治の行方は解らなかった。 その後数年たって忠治発病の噂が流れたが、其の後の忠治の病状は不明であった。この先の事は、又のさんぽみちでお楽しみに。



『障害者と呼ばれて思う』 森 昭  
障害者は、その障害によって自ら定まった道を、歩まなければならない道があるような気が私はする。どんな道かは知らないが、 他の人には歩めない、自分だけの道。二度とは歩めない道なのだ。
 それは、広い時もあれば狭い時もある道なのだ、登りもあれば下りもある。かきわけかきわけ、汗を流す時もあろうし、 余りの苦しさに慰めてほしくなることもある。しかし、所詮はこの道を歩むしかない。
 他人の道に気を取られ、思案に立ちすくんでも開けるどころか、何らの前進すらない。一心に集中して歩まねばならないのだ。 それがたとえ遠くても休まず歩む姿にこそ新しい道、即ち生きる道が開けるものだと信ずる。
 通所者・入所者の皆さんに申し上げたいことは、人様に頼らず何事も自分でやってみる事、それを基として残存機能を充分に活用して、 工夫と努力・忍耐を継続する事。何事にも挑戦して自分に自信をつければ力強く、着実に生きて行けるのではありませんか。 



穏やかに去来する四季
『人は春の訪れを語る』 酒井信江
凛とした白梅の清香に『人は春の訪れを語る』。
咲き競ひ散り初める櫻の花びらを舞わせる風が
新緑を渡り夏の涼しさを運ぶ。川のせせらぎは
夏の涼しさを止める。
やがて来る時雨に日一日と深まり行く峰の山々
いつしか連山燃えて錦に似たり、紅葉の峰々
やがて、北風吹いてひとひらの風花を運べば
永い底冷えのする冬来たりぬ吐息白くして孫は
鬼は外ばかりの節分の声。夕暮れの空に響く
『人は又春の訪れを語る』



喜寿の手に 冬至南瓜の 皮硬し
粘菊の 捨てがたきかな 庭の隅
荒野原 日差しにほてる 福寿草
珊瑚寺の 僧の見て居る 座禅草
隣家の 槌音高し 春の空
花粉症 テレビ見ても 咳をする
白粥の 味になれきし 春の風邪
いつまでも 制服ぬがず 卒業す
白連の とどく二階は 孫の部屋
上毛の 雪嶺三山 風荒し
            羽鳥 公衛



迷い箸 とめて味わう 旬の飯
ふれあいを 深めてつつじ 鮮やかに
            土田 修緑



頼られる この身が頼る 身となりて
   二人三脚 老後の暮らし
雨やんで 紫陽花眩し 遠き日の
   妻の単衣の 藍甦る
歳経れば 母の思い出 なつかしく
   昨夜は夢の 中にて叱る
惜しからぬ 命なれども 病む妻を
   支えてひと日 長く生きたし
            影山 えいじ


坂本さま、酒井さま、山本さま、影山さま、ご投稿ありがとうございました。
これからもご投稿お願いします。



名倉院長の健康豆知識

夏の思い出 
 もう10年近くの間、 毎年八月には私がキャプテンだった頃の大学時代の後輩達とテニス合宿をしています。総勢20名近くの後輩が、群馬県に集結し、 榛名山近辺のテニスコートで一泊二日のテニスを楽しんでいます。私達夫婦の様に、 同じテニスサークルの仲間で結婚した夫婦も二組あったりして、夜の宴会は夫婦の愚痴話などで、それはそれは大いな盛り上がりを見せます。 十数年もやっていると、その間メンバーの間にも色々な出来事がありました。ある後輩は、現役時代もやせていましたが、 より一層やせた姿であらわれて、40代前半で胃癌の摘出術を受けたと報告し、みんなを驚かせました。 また毎年幹事役をやってくれているチューさんは、実は昨年末酒による肝硬変から食道静脈瘤発裂を起こし、九死に一生を得たと得意そうに話し (独身の為気楽な身分なのです)、これまた私にとっては青天の霹靂のような驚きでした。何せ彼はそれまで10キロマラソンの常連で、 前回参加時も全く健康そのものの身体に見えたのですから。そして、一昨年には私の事を兄のように慕ってくれていた男が、 腎臓癌で亡くなってしまいました。彼はもう20年以上も慢性腎不全で血液透析実施中の身体でした。
 そうした様々なドラマを見つめつつ、今年も恒例のテニス合宿をする予定です。土曜日の午後にコートに集合し、約4時間近くテニスをし、 夜の宴会、そして翌日も5~6時間近くテニスをし、夕食を食べた後散会するというハードな内容です。 しかし年々テニスコートに居てもコートサイドでしゃべっている時間が長くなっている気がします。
 年に一度の旧友との再会そして語らいという経験は、本当に楽しいものですが、そうした仲間に数年前から参加している後輩の男の子がいます。 つぶらで長いまつ毛でキムタクの幼少時よりも数段可愛いに違いないその子は自閉症なのです。 後輩が奥さんと子供を連れてテニス合宿に参加するようになって4、5年になるでしょうか、 その子に会うまで私は自閉症という名前は知っていましたが、その実態は全く知りませんでした。初めて会った時の彼の行動は、 自閉症という言葉から想像してきた「暗い」とか「人を避ける」というものと全く違った行動でした。 大人達の迷惑も素知らぬ顔でテニスコートを走り回り、話しかけてもまるで目の前に人がいないかのように振る舞うのです。自閉症というのは、 現在では、脳の何らかの機能不全によって生じる発達障害であり、3才までに人とのやりとりの関係がうまく形成されなかったり、 コミュニケーションの障害や、ことばの遅れ、こだわり行動などの症状が見られ、 現在では約100人に1人の割合でそうした発達障害の子がいると言われています。 初めて接する事となった後輩の子供の奇異な行動に、 私達は当惑しつつも、心底から迷惑だという気持ちはありませんでした。それ程私達仲間の友情は深いのです。夜の宴会では、後輩に遠慮もなく、 親の愛情とか夫婦の関係が子供に与える影響などについて質問したのですが、私が敬愛する後輩の返答は私を恥じ入らせるものでした。 「私も親ですから、自閉症に関しては沢山の本を読んで勉強しました。でもそういう問題ではなさそうです。」それしか彼は言いませんでしたが、 それだけで私が自分の不明を学ぶのに充分な言葉でした。合宿が終わり、早速自閉症の本を買い求め、読んでみましたが、全く彼の言う通りで、 一筋縄ではいかない障害である事は明らかでした。自閉症の人は他者の気持ちや考え、あるいは場の雰囲気を的確には読み取りにくく、 その事が社会性の欠如という現象となってあらわれますが、彼等の心には私達に伝わりにくい豊穣な感情が宿っている事が明らかとなっています。 その後も彼は私達の愛情が伝わっているのか毎年合宿に参加してくれています。昨年には私と顔を合わすなりいきなり「名倉さん、青いの、 青いの」といって叫ぶのです。彼の言っている事が何の事か分らず途方にくれていると、彼の父親が嬉しそうに「名倉さん、 去年持ってきたクーラーボックスですよ」と言いました。 1年後に青のクーラーボックスを私と一緒に想い出すその記憶の仕方に衝撃を受けました。
 1年振りに彼に会う度に、私達の再会の喜びの挨拶に応える彼の近寄りがたく、よそよそしい態度に内心ではがっかりするのですが、 私達がこんなに彼の事を受け入れているから、彼は実は私達の事を好きに違いないんだ。しかし、 彼には好きというのをどう表現すべきか思いつかず、それを要求する事は彼を当惑させる事なんだと、自分に言い聞かせつつ接しています。 彼との心の交流が今後どのように発展、展開していくのかとても楽しみにしているのです。
 


 

7月の行事予定

 

通所リハビリ
1・2日
老健施設作品見学
7日
七夕イベント
8日
藤寿流 民謡踊り教室
11日
コールたちばなコンサート
19日
晃峰会発表会
20日
民謡踊り教室
21日
ミニ誕生会
25日
南橘フォークダンスクラブ
 27・29日
誕生日会
療養棟2階
6日
七夕&おやつ作り
14日
買い物ツアー
21日
関先生の音楽教室
24日
県庁ドライブ
27日
お誕生日会
療養棟3階
    7日
七夕(流しそうめん)
13日
音楽教室
14日
買い物ツアー
21日
おやつ作り(ぜんざい)
28日
お誕生日会
あかしあの里1
3日
家族会
14日
榛名養護学校交流会
日程未定
榛名湖見学
日程未定
外食会
あかしあの里2
7日
七夕祭り
14日
榛名養護学校交流会
 日程未定
外出の日(お弁当持参)
日程未定
おやつ作り
(チョコレートパフェ)
あかしあの里3
7日
七夕祭り
14日
榛名養護学校交流会
25日
おやつ作り
日程未定
夢をかなえるツアー
DSわきあいあい
4日~
江木へ紫陽花見学
7日
七夕祭り
14日
榛名養護学校交流会
日程未定
流しそうめん
GHゆめさき
3日
家族会バーベキュー
9・23日
生花教室
17日
誕生日会
31日
音楽教室
DSゆめさき
7日
七夕のイベント
8・9日
前橋七夕祭り見学
11・12日
おやつ作り
15・16日
映画上映会
22・28日
書道教室
27・29・30日
誕生日会

 


 
 

編集後記

さんぽみち7月号いかがだったでしょうか?
 皆様は、今年の七夕にはどんな願い事をしましたか?今年の七夕の夜は雨が降らなかったので、きっと織姫と彦星は逢えたことでしょう。
 ここ最近まで、雨が降ったり、暑かったり寒かったりと安定しない日が続き、体調を崩された方も多いかと思いますが、もうすぐ梅雨も明け、 夏らしい暑い日が続きます。くれぐれも夏バテと脱水には十分気をつけてくださいね。脱水症にならないためには水分補給も必要ですが、 ほんの少し塩分をとることが良いそうです。汗をかいた後、水分補給と一緒に塩気のあるものをとってみてはどうでしょうか?
 それでは、皆様の七夕の願いが叶いますように、また今年の夏を健康で過ごせますように願っております。
                         《広報委員 新井佳奈》