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創春館新聞 「さんぽみち」

 平成23年3月号

3月号目次

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・あかしあの里 特集!

・今月の事業所便り

・名倉院長の健康豆知識

・吾輩はジータである

・文芸作品

・投稿コラム

・編集後記

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あかしあの里 特集!
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あかしあの里は、平成十二年の四月に開設された法人内で一番古いグループホームです。現在は三棟有りますが、開設当初はⅠ棟のみで始まりました。翌年にはⅡ棟を増設し、そのころは「菜の花棟」と呼んでいたそうです。更に一年後三棟が増設され今の「あかしあの里」となりました。各棟に九部屋の居室があり、現在は二十七名の方が入居されています。良く「三棟それぞれに特色が有って良いですね」と、言う意見を見学頂いた方々がら頂きますが、我々職員は特に意識した事は有りません。ただ、入居されている皆さんの事を考えて仕事をしている内に自然とそうなって行ったのだと思います。又、ユニット型のホームで有りながら各棟がそれぞれ独立して建っているのが良い影響をもたらしてくれているのかもしれません。そして、これからも入居されている皆さんやその御家族が、安心して日々の生活を送って頂けるよう、三棟で協力しながら全職員一丸となって頑張って行きたいと思います。

あかしあの里Ⅰ


あかしあの里Ⅰ
   季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられ、宮中行事の延喜式として平安時代に始まった節分が、現在の形になったのは室町時代。炒った豆で鬼を追い払う行事が庶民に取り入れられたのだそうです。鰯の頭を柊の枝にさして玄関に飾るといった風習もこの頃から始まったのだそうです。

そんなわけで、あかしあの里Ⅰでも二月三日に豆まきを行いました。豆は「魔滅」に通じる事から鬼に豆をぶつけるんだ......なんて由来を知ってか知らずか、単なる日頃のストレス解消なのか、職員扮する赤鬼に思いっきり豆をぶつけて楽しみました。節分にまつわる皆さんの思い出も福茶を飲みながらゆっくり聞かせて頂く事ができ、年々食べる豆の数が増える事に喜んだり涙したりしながら一年間の無病息災をお祈りする事ができました。

節分と言えば「鬼は外、福は内」ですが、昔鬼が投げた石で出来たと言われている鬼石町では、鬼は守り神なので「福は内、鬼は内」と言うのだそうです。近年では全国から追い出された鬼の安住の地をうたっているそうですよ。

また、昼食の時にはスタッフが「恵方巻」を手作りし、みんなで食べました。さすがに太巻き一本を丸かじりするのは大変なので切らせて頂きましたが、でんぶやかんぴょうなど具だくさんの恵方巻に「美味しい」と皆さん満足されたようでした。

今 月 の 事 業 所 便 り


デイサービスわきあいあい

これで今年も無病息災

わきあいあい
   二月三日に、毎年恒例ではありますが豆まきを行いました。今年は例年になく怖い鬼が外より舞い込んできたため、利用者の方は真剣に豆をぶつけ無事に鬼退治をすることができました。おかげで福の神も、きっとたくさんの福を持ってやってくることと思います。利用者のみなさんも、福豆を歳の数とはいきませんがしっかりと召し上がり、今年一年の無病息災を祈願し楽しい時間になりました。

療養棟二階

日頃の鬱憤を豆まきで?


療養棟2階①
   二月三日に節分のイベントとしまして、豆まきと恵方巻き作りを行いました。豆まきでは鬼に扮した職員に向かって「鬼は外、福は内」と日頃の鬱憤をはらすかの様に勢い良く豆をまき、鬼も痛そうな様子でした。また恵方巻き作りでは、利用者様一人ひとりが恵方巻きを作りに挑戦し、出来上がったものを美味しく、「今年一年も健康で過ごせますように」と願いを込めながら召し上がっていました。

クリニック通所リハビリ

丸めて貼って、切って貼って、折って広げて


クリニック通所リハビリ
  「最近は字を書かなくなった」「細かい作業が出来なくなった」などの声を利用者様から聞くことがあります。
クリニック通所リハビリでは、先月の絵馬作りに続き、今月はひな人形作りに取り組みました。お花紙を丸めたものを顔と髪の毛に貼って、着物はきれを切って貼りつけました。雛段はお花紙の花でつくりました。丸める、切る、折る、広げる、貼りつける。どれも手と指先のいい運動になります。手を動かすことは脳の活性化にもつながるといわれています。特別な運動ではありませんが、作品作りを楽しみながらリハビリにもなっているのです。とても良い作品に仕上がりましたので、興味のある方はクリニック通所まで見にいらして下さい。

星辰の家

色とりどりの恵方巻き


星辰の家②
   星辰の家では二月三日に豆まきと恵方巻き作りを行いました。鬼の格好をしたスタッフが「鬼は外、福は内」と言いながら豆まきを行いました。その後はグループホームにて利用者様と職員、力を合わせて恵方巻き作りをしました。利用者様、一人一人好きな具材などを入れながら個性的な恵方巻きが出来上がり、とても喜ばれていました。

あかしあの里Ⅱ

家族と一緒に誕生日会


あかしあの里2 誕生会02
   二月二十八日新井愛子様九十二歳のお誕生日会を娘さん三人をお招きしてお祝いをさせて頂きました。テーブルの周りに娘さん達に囲まれとても楽しそうでした。久しぶりに親子揃って、ケーキを食べたりお話したり歌を唄ったりと普段見る事のない笑顔で過ごされていました。来年の誕生日も皆さんと一緒にお祝い出来るように支援させて頂きたいと思います。

あかしあの里Ⅲ

新入りさん?いらっし~ゃい!


あかしあの里Ⅲ
   二月二十一日に新規入所者の歓迎会をしました。入居より一週間がたち、あかしあの里での生活も大分なれた様子で、あらためて自己紹介をしていただき、他の皆様から「こちらこそよろしくね。」「うちの近くに住んでいたのね。」とたくさん声をかけていただきました。三時のおやつにスタッフ手作りの白玉あずきを皆さんでいただき、和やかな歓迎会でした。

デイサービスゆめさき

二月三日にブッチーライブ


ゆめさき03
   デイサービスセンターゆめさきでは、二月三日に節分の行事を行いました。ちょうど、毎月来ていただいているブッチーさんこと、岩渕さんの慰問と重なり、コラボレーションの豆まきです。節分にちなんだ話をし、いつ鬼が来ても退治できるようにボールを持っていたところ、突然に玄関の扉が開いたかと思うと、大きな声で威嚇するように鬼が!皆持っていたボールを鬼にぶつけ鬼退治です。途中子分たちも出現しましたが、足や腰の痛みや、嫌な事とともに、無事に退治しました。その後は九十六歳のゆめさきの一番の長寿であり年女でもある利用者様による豆まきです。皆様に長寿はもちろん、たくさんの福が舞い込むように、一人ひとりにむかって豆をまいてもらいました。長寿の男性にも一緒にまいてもらっています。最後は恵方巻きクレープを用意し食べていただきました。今年も一年無病息災。皆様が幸せでありますように。
...ブッチーさん、ナイスな演出、ありがとうございました。

明 月

節分会~鬼退治~


明月 ①
   明月では二月三日DS・GH合同で豆まきを行ないました。
利用者様一人一人に豆を持っていただき大きな声で「鬼は外・福は内」と鬼にむかって豆を当てて鬼退治と利用者様の腕の振りかぶりとみなさんのハッスルぶりにはスタッフ一同ビックリしました。「早く出て行ってちょうだい」と優しい声で言われている方もおり、一人一人個性がみられるやり方で、無事鬼退治は出来たようです。
年の数の豆はいただけませんでしたが、一年の健康を祈って頂けました。

ケアセンター朱咲

オリジナルメニュー「ココいもこ」


朱咲01
   朱咲の家では、二月十七日にバレンタインデーイベント行ない、女性利用者皆様でサツマイモを使ったお菓子作りを行ないました。流石に百戦錬磨の主婦の皆様なので作っている間に色々アイディアも出て職員が教わる場面もありました。作ったお菓子にサツマイモとココアを混ぜたので「ココいもこ」と名前まで付けてみました。おやつの時間に利用者全員で召し上がり「美味しいね~」「また食べたいね~」と好評のうちに終わりました。意中の人は射とめられましたかね???
次は男性が女性に何か作れる物をと考えてます。

GHしらさぎ

博物館で歴史の勉強?


しらさぎ 回転すし  しらさぎ 歴史博物館②
   十八日に、『群馬の森』の中にある県立歴史博物館に行きその後、誕生会を兼ねて、お昼は回転寿司でおいしいお寿司をお腹いっぱい堪能しました。
歴史博物館では、古い教室のセットの中にその時代時代の給食の見本が展示してあって、「うわー なつかしいわねー 私のときはこんな給食だったのよ」と当時のことをなつかしそうにお話されていました。男性の利用者も、古い車やバイクが展示してあるのを見つけると、感激されていました。これから暖かくなるので、もっともっと外出を増やして生きたいです。

あかしあの里Ⅲ 豆まき

二月三日、職員が鬼になり豆まきを行いました。今年は、毎年誰がまいていたのか?掛け声は何回掛けていたか?が話題となりました。皆さんお家でしていた豆まきを思い出し「私の家は長男がまいていた」「私の家は旦那がまいていた」と様々。「私がまいていた」と言う方もいらっしゃいました。色々な意見があり、あかしあの里Ⅲは、一番長老の方に初めの掛け声を掛けていただき、それに続いて全員で大きな声で、二回「鬼は外」「福は内」と豆をまき、鬼は玄関から外へ逃げていきました。今年の厄払いを無事終えることができ、昼食には皆さんが楽しみにされていた恵方巻きを召し上がっていただきました。一本丸かじりとはいきませんでしたが、「昔は恵方巻きなんてなかったよ」と言いながら、お腹いっぱい召し上がっていただくことができました。鬼を退治した元気一杯のエネルギーで今年一年過ごしていただけるよう、お世話させていただきたいと思っています。

療養棟三階

誕生日会でハンドベル

 
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療養棟三階では二十四日の誕生日会に、職員によるハンドベルの演奏を行いました。三階ではハンドベルの演奏をほとんどしたことがなかったので、何日も前から練習を行い、緊張しながら当日を迎えました。
当日は、まず誕生日の方の紹介と、メッセージカードのプレゼントを行いました。そしていよいよ女性職員三人によるハンドベルの演奏です。曲目は「ハッピーバースデー」「キラキラ星」「ふるさと」で、利用者の皆さんにも歌を歌っていただき、誕生日を迎えた方をお祝いしました。どの曲も素敵な演奏となり、皆さん大変喜ばれていました。その後、職員による余興の歌のプレゼントを行いました。こちらも皆さんから喜ばれ、楽しい雰囲気のなか誕生日会を終えることができました。

涼風の家

手打ちそばで舌鼓

朱咲01  涼風 そば道場②
  二月二十六日、入居者様の息子様が、手打ち蕎麦をふるまって下さいました。粉をこねるところから始まり、普段見られない光景に入居者の皆様は興味津津といった様子で眺めていました。出来上がった蕎麦は二八蕎麦で、とても風味がよく、いつもは少食の入居者様も「おいしいね~」とたくさん召し上がっていました。美味しいお蕎麦をありがとうございました。

GHゆめさき

ゆめさき家族会


GHゆめさき 家族会①
   グループホームゆめさきでは、二月六日(日)に新年会を兼ねての家族会を行いました。当日はたくさんの家族の方が参加して下さいました。昼食にはお弁当とスタッフ手作りの豚汁、利用者様の漬けて下さった白菜漬けを頂きました。白菜漬けとても美味しかったと好評で、家族の方と一緒という事もありいつもよりたくさん食べられておりました。
昼食後にはボランティアさんによる歌謡ショーを楽しんでいただきました。歌に踊りにと知ってるところは一緒に参加し楽しく盛り上がる事が出来ました。家族の方とのコミュニケーションも図れ楽しい時間を過ごせたのではないでしょうか。次回は四月に桜の花見を企画していきたいと思います。

通所リハビリ

ぽらりす保育園との交流会


創春館 通リハ②  創春館 通リハ④
   二月二十四日 創春館通所リハビリフロアーで、ぽらりす保育園の空組の園児三十名との交流会がありました。四月には真新しいランドセルを背負って小学校の門をくぐる子供たちです。
会場は大きな円形になり、利用者様の間に園児が入り、手遊びをしたり、一緒に歌を歌いました。お互いに肩をたたきあい、手をたたき合いました。「頭を撫で撫で~♪」という先生のピアノと掛け声に、園児たちが利用者様の頭を撫でてくれました。大人が子供の頭を撫で撫ですることはあっても、逆はなかなか経験することが無いでしょう。職員もビックリしましたが、利用者の皆さん、それはそれは嬉しそうでした。また、園児が利用者様をぎゅっと抱きしめる光景は、本当に微笑ましい限りでした。
「おじいちゃん、おばあちゃん、元気でね」「おじいちゃん、おばあちゃん長生きしてね」「小学校に行ってもがんばるからね」子供たりからのひとことひとことに利用者様はうるうるの表情、利用者様からは「小学校に入ってもがんばるんだぞ」「また遊びにおいで」とのお返しの言葉があり、短い交流の時間はあっという間に過ぎたのでした。

名倉院長の健康豆知識

血圧と「いい加減」

関西のヤクザは相手を威嚇する時、よく目をひんむいて「われー、ええ加減にせえよ」という言葉を吐きますが、これを標準語に直すと「君、いい加減にして下さい」となり、何とも迫力がないですね。この「ええ加減」とは、あなたの言動を私の怒りが抑えられる範囲のちょうどよい加減にしておいて下さい。という意味かと思いますが、「いい加減」には大雑把という意味もあります。従って「いい加減」は「いい加減」というと、多分外国人にはほぼ永遠に理解できないと思いますが、日本人であれば「いい加減」(大雑把)は「いい加減」(ちょうどよい加減)というニュアンスは伝わると思います。生きていく上では、計算通りにいかない事も多く、「いい加減」(大雑把)に判断した方がいい場合も沢山あります。例えば結婚などもそうで、いくつもの条件や将来を考えていると、婚期を逃がすことにもなりかねません。むしろ「いい加減」(大雑把)に相手を選んだ方がうまくいっているケースが多いのではないでしょうか。これには何の根拠もありませんが、念の為。
血圧の管理などもその類で、余り神経質に細かく考えても、現実的でも科学的でもある訳ではありません。教科書的には、「血圧の想定は ①安静状態 ②坐位で ③心臓と同じ高さの上腕で ④一~二分間隔の複数回測定したうちの安定値の平均値を用いるというのはまだしも、診察日の前に、公認の血圧計を購入し、朝には起きてから一時間以内に、排尿後、朝食を食べる前に、一~二分心を落ち着かせた後測る。夜にも同様に、寝る前に心落ち着かせた後測る。そうした測定を五日間行ない、その記録用紙をもって診察を受けて下さい。」血圧を専門にする大学の教授は、診察毎にそうした記録用紙をもとにして治療すると云うのですが、私には余り現実的な診察方法とは思えません。確かに人によって血圧の変動パターンが異なり、寝ている間に血圧が高くなる人もあり、一日(二十四時間)の血圧測定も可能な現在では、そうした血圧データも大切ですが、「いい加減」(大雑把)なところで医者が「いい加減」(よい加減)を判断してあげないと、血圧ノイローゼになりかねません。これほど血圧ゝと騒いでいますが、血圧とはどういう事を指しているのですかと聞かれて正確に答えられる一般の人はまずいないといっていいでしょう。血圧という数値には血圧計(水銀柱)と聴診器が必要です。上腕の動脈に当てた聴診器をマンシェットという布で締め付け、少しずつその布の圧力を緩めていき、最初に聞こえる音の水銀柱の高さを上の血圧、音が聞こえなくなる高さを下の血圧と言っているのですが、それ程厳密な数値という訳ではありません。この数値を決める主な因子は、①心臓のポンプとしての機能、②一回の心臓の収縮で送り出される血液の量、③末梢の結果抵抗となります。したがって血圧の薬というのは、そのいずれかの因子に作用する薬という事になります。イライラしたり、興奮したりすると心臓の働きが強くなり、また末梢の血管抵抗も上昇し、血圧が上がりますし、塩分を取りすぎたり、腎臓の具合が悪く、塩分がうまく排出されない時は、血液量が増え、やはり血圧が上昇します。環境の変化、寒暖の差によっても血圧が変動します。主な三因子に大しては、現在分かっているだけでも多数の身体の因子が働きかけます。その為、血圧というのは、一日のうちでも変化するし、月日の経過による身体の変化によっても刻々と変化するものなのです。血圧の管理は、動脈硬化による心臓病や脳血管障害の予防には必要です。しかしその管理については厳格に考えるものではありません、血圧管理とは車で言えば、事故防止の為のスピード抑制のようなものと考えればいいのです。事故の危険性の少ないスピードの範囲で運転しましょうということです。生真面目な先生は、制限速度オーバーだから取り締まるというのですが、のどかな車の通らない田舎道を少々スピードを上げたからといって事故につながらないのと同様に、その人の危険因子の多寡によって血圧は「いい加減」(大雑把)でいい場合も有るのです。まっとうな医者なら患者さんの性格、体質、病歴等を考えて「いい加減」(大雑把)に見えるけれども「いい加減」(ちょうどよい加減)の血圧管理ができていると思います


吾輩はジータである

―そしてまた貴方に恋してる― 東郷 彦四郎

ジータもこれ程歳をとると幾代にも亘る孫達の姿を眺める事になり、心配でもあり、楽しい事もある。寄る年波に負けず、何とか冬を越せそうだと安堵する孫がいれば、先日は五才と三才になる女の子のお遊戯会を見る始末じゃ。ジータともあろう者が、越中フンドシをキリリと締めた、日本男子の男の中の男、ジータともあろう者がお遊戯会だって?などと笑いなさんな、ジジイたる者お遊戯会を見るのが本道だ、などと固い話は抜きにして、不自由な足を必死になって動かしている、今は年老いた孫の姿も、母親お手製のきらびやかな衣装を身にまとい、ぎごちなくも可愛い仕草の孫の姿も、どちらもジータにとっちゃ可愛い孫達の姿じゃ、可愛い子供達の姿をなりふり構わぬ喜びで、必死になって追いかける父母達の姿を見ていると、いつの時代でも親たちはあんな風じゃったとウルッときたんじゃ。ウルッときた衝動で、思わず通所リハビリF島Aきら氏風に大きな声で「ブラボー」と叫んだんじゃが、シーンとした静寂と冷たい視線が漂い、ああここは市民会館であって創春館じゃないんだと、創春館の暖かい空気が恨めしかったもんじゃ、創春館にはF君の「うまい!」のプレゼントがあるが、ジータもいつも「ブラボーッ」と叫んでいる!

リンさんの話に戻ろう、リンさんは昭和元年に新潟で生まれた、リンさんが新潟から前橋に移ってきた経緯については追々語るとしよう。戦争の影が色濃く世間を覆い、戦争と一緒に歩き始めた時代じゃ、あのバカバカしくも愚かしい戦争については、誰しも話したくないじゃろう。しかし、どんなにバカバカしくとも、歴史には、からみあい錯綜した沢山の流れが大河となり怒涛のごとく人々を押し流してしまう、そんな洪水の様な時代がある。先の大戦もさかのぼれば黒船の出現にまで行き着くのだから、バカバカしい戦争の流れも防ぎようもなかったかも知れん。じゃがジータが口惜しいのは戦争とは若者の戦いで、犠牲になるのも若者で、四十も過ぎた大人は後ろで見学という戦争の真実じゃ、日本とは別世界のジャングルで、ぬかるみの中を行軍し、ハエやカに悩まされながら、満足に食べられもせず、マラリアやデング熱にうなされながらそれでも戦えるのは若者しかいない。日本から遠く離れた満州で、中国で、南インドシナで若者がどんどん傷つき死んで行く、そんな時代の中でリンさんは青春を前橋で迎えた。それはリンさん十六才の時、ふっくらした頬が赤く熟れ、二重瞼の瞳が大きな栗の様な、和服姿がいじらしくも見える乙女の時、春の赤城おろしが、連日嵐のように砂塵を巻き上げ、前橋の街全体を黄色いもやのように包んでしまうそんな春の日の時、場所は関東三大師青柳大師で有名な青柳村、そこにある公民館、木造平屋建の四十坪位の、その建物の玄関には、墨で黒々と「慰問袋収集集会」の張り紙が貼られている。
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様々な年代の三十名くらいはいようかという女性達が、いずれも和服姿に白の割烹着を重ね、コの字型に並べられた長机を前にして腰かけている。机の上には沢山の一m四方の無地の麻の布切れと裁縫道具が置かれ、また別の机には、沢山の手拭、靴下、石鹸などが並べられていた。
やはり白い割烹着を着た、小柄で小太りの笑顔が柔道ヤワラちゃんそっくりの(療養棟I藤氏だ!)四十代の女性登場。

「それでは慰問袋作成集会を始めさせていただきます。私は本日袋作成のお手伝いをさせていただく、婦人会青柳地区委員のI藤です。まず、最初に自治会長様から挨拶を頂きます」小柄ながらがっしりした体格、猫背気味の眼鏡をかけた六十代の会長(送迎課N沢氏だ!)
高下駄をカッカッと鳴らしながら(当時は革製品供出の為下駄の人も多かった。)登場、女性達を前に、いくらか興奮しているのか上気した顔で、「えー本日は婦人会の皆様、家事に、育児に、親の介護にと日々の生活大変なところ、こうしてお集まりいただき有難うございます。
現在日本軍は勝ち進んでいるとの報道ですが、兵隊さん達は大変な思いをして戦っている事と思います。こうして私達が日々平穏に過ごせますのも、兵隊さん達のお陰と感謝しなくてはなりません。現在戦局は我に利ありといえども、今後各地での苦戦も予想されます、こうした折りだからこそ、我々は銃後の守りをしっかりせねばなりません。現在前線にいる兵隊さん達の武運長久を祈って、せめてものご奉仕と慰問袋を送るのであります。ご婦人方の祈りが通じ、兵隊さん達が無事に帰ってこられますよう心を込めて作業を行なって下さい。以上!」一瞬の間をおいて、つぶらな瞳で必死の目つきで会長を見ていた新妻(リハビリM瀬K織だ!)の「はい!」という大きな声につられ、全員の女性がいっせいに威勢よく「はい!」と答えたのでした。続いて司会者の紹介で、大柄で周囲を威圧するかのようながっしりした体格の四十代女性(療養棟S田K子師長だ!)。やはり白い割烹着に彼女だけ「大日本国防婦人会」と白地に黒々と書かれた(大きな)たすきをかけて登場。きりりとした口調で、「みなさまー、本日私共は、慰問袋作成の講師として国防婦人会より派遣されてきました。先ほど会長様からもお話があったように、私達の銃後の守りがあったればこそ、兵隊さん達はがんばれるのです。私達も必死になってがんばってますの心と、無事に帰ってきてくださいの祈りを込めて袋を作りましょう。まず最初にそこにある布切れを使っての袋の作り方を説明します。次いであちらの机の手拭・靴下・石鹸、そして青柳大使のお守りを入れる順序を説明します。最後に、皆様方に兵隊さん達への励ましのお便りを書いて入れていただくのですが、それについては、袋の中身が入れ終わった時点で説明いたします。
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それではまず最初に目の前にある布切れと針と糸をとって下さい。」一斉に女性達が手を伸ばす。簡単な作業なのか、少しの説明で女性達は針と糸を操り、布が袋に変化していく。手を動かしながらの女性達の雑談が聞こえる。
「あんな風に自治会長は言っているけど実際の戦争はどうなのかし らね。」
「うちでも噂してるんだけど結構大変なのかもね。」
「あなたの御主人は今どこへ?」
「実はよく分からないの。何処に行ってるかは秘密事項だって。」療養棟N井K美子氏「あの国防婦人会のI 藤氏やS田氏やけに肉付 きがいいでしょう。私なんか食べなくても太る体質で困っているけど、何でも彼女達の場合、闇で色んな食べ物を手に入れてるっ て噂よ。」
療養棟K森・I口氏「あらー、私達だって体質のせいなのに、み んなに白い目で見られているのはあんな人達がいるせいなのね。」わきあいあいK保田K子氏「向こうに坐っているK持N子さん、旦那さんの戦地からの音信が途絶えているっていうのに、夜な夜な 家にいず、妙にふっくらと色気がでてきてるってよ。」
と言えば、少し離れた方では、あかしあの里、Y田E子氏「あちら でにぎやかにおしゃべりしているK保田氏とTSU氏、旦那さん が亡くなったというのに派手なズロースが干してあったともっぱらの噂よ。不謹慎だわ!」
若い身ながらこの集会に召集されたリンさんは、周囲の雑談がまるで別世界の事のように、黙々と針仕事に打ち込んでいたんじゃ。最後に全員各自書いた手紙を袋の中に入れ集会は解散したんじゃが、リンさんはいくつか作った慰問袋に一つだけ青柳大師ゆかりの小さな鈴を入れたんじゃ。そして偶然それを受けとった兵隊さんとの間に文通が始まるんじゃが、若い二人の出会いは次の回のお楽しみとしよう。どうじゃ、可愛い孫達よ、今ではシワやシミも増えてしまったが、心はいつまでも若々しく輝いている私の可愛い孫達よ、少しは未来の物語に心が躍り、ぐっすり眠れようかね。目を閉じたらジータの事だけ考えてごらん。ジータはいつも君達を見守っている!
 

文芸作品

陽溜りに 親子の雀 羽休め
我れも並びて しばしたたずむ
高橋三佐男様

少しでも 改善願いリハビリを
励みて今日で 九年過ちて
村田 順子様

しまひ湯の 窓開け放ち 冬の星
柳澤 照子 様

朝風呂に入り 雪をみながら
春を待つ
金井 マキ 様

タンスあけ 妻の匂いに
とまどいぬ
森 格様

古池に カエル飛び込み
水がない
金古 和夫様

かわいいね またも来る気の
朱咲荘
池嶋 宏輔様

朱咲にて 休む気持ちの
あたたかさ
高橋 昭平様

今月の事業所予定

☆星辰の家☆

3日 雛祭り
16日 誕生日会
24日 お彼岸

☆あかしあの里Ⅰ☆
3日 ひな祭り
14日 おやつ作り(ホワイトディ)
21日 おはぎ作り(お中日)
31日 誕生日会

☆DSゆめさき☆
3日 ひな祭り
9日 ブッチーライブ
10日~12日 おやつ作り
14、15、16日 映画上映会
22日~24日 誕生日会

☆涼風の家☆
5日 倉渕中学校生徒慰問
上旬 秋間梅林花見
中旬 外食ツアー

☆わきあいあい☆
3日 ひな祭り
8日 たこ焼きパーティー
17日 誕生日会
30日 もんじゃパーティー
14日~26日 梅見ドライブ

☆朱咲の家☆
1日、3日、7日、31日 誕生日会
3日 ひな祭り
26日 百寿のお祝い

☆通所リハビリ☆
3日 ひな祭り
10日 芙謡会発表会
12日 ふれあいコーラス発表会
22、23、25、26日 誕生日会
28日 前橋アコーディオンサークル

☆あかしあの里Ⅲ☆
3日 ひな祭り
13日 手作りおやつ(道明寺)
15日 誕生会
日程未定 外食

☆GH明月☆
  3日 DS・GH合同 ひなまつり
14日 DS・GH合同 ホワイトディ
DS・GH合同 箕郷梅林ツアードライブ

☆療養棟二階☆
2日 ひな祭り
16日 おやつ作り(桜餅)
30日 誕生日会

☆療養棟三階☆
3日 ひな祭り
17日 おやつ作り(桜餅)
24日 誕生日会

☆DS明月☆
3日 DS・GH合同 ひなまつり
14日 DS・GH合同 ホワイトディ
DS・GH合同 箕郷梅林ツアー
誕生日会、ドライブ

☆GHしらさぎ☆
3日 ひな祭り
5日 誕生日会
下旬 花見

投稿コラム

「天保飢饉と忠治の劇盗」 坂本 正之助

天保七年、長雨冷涼の不順から上州赤城村から勢多郡宮城村、大胡粕川を含む三十六ヶ村に最悪の凶位であったため、食料に差し支え草野老蕨などを掘り、あるいは木の実を拾って飢えるありさまであった。そして飢饉が最悪の状況になった天保七年十二月霜月は、晦日に近い粉雪の降る宵であった。縞の合羽に三慶笠長脇差を腰に落し道中姿の旅人が、桐生は新町今店を閉めたばかりの佐助の本家・清右エ門の大戸で「夜分ごめん下さい。」と声を掛けると、内から「どなたですか。」と声に応じて旅人は「国定の名代で参りました。三木の文蔵と之う者でござんす。ご主人様に取急ぎお目にかかりたい用件をもちまして、夜分失礼さんでござんすが参上いたしました。」との挨拶で店の番頭が早速主人に取次いだところ、主人は忠治親分の名代とあっては無下にお断りする訳にはいくまいと、直に替り戸を開いて招じ入れるとご免なすって店先に立ったのは、紛れもなく国定の身分三木の文蔵であった。文蔵を座敷に通して主人清右エ門が、さっそく用件を伺うと文蔵は忠治の言葉を手短に伝へた。御承知の通り、今年は近年稀の凶作に重ねてこの飢饉それに加え、代官の年貢の取立が厳しく近在百姓の難儀は深刻で、歳の瀨を控えて餓えに泣く百姓共にたとえ僅かにせよ近郷の助けを借りて、温かい数援の手を差し伸べたいと思い就いては、「突然の申し出で誠に申し訳ないお願いでながら忠治の名において救済資金として金三拾両を借用いたいとのことで参上しました。」現在であったら、ヤクザ者がこの様なことで他人様の家を訪ねたら、恐喝として直ぐに警察に通報されるところだが、当時はこの様なことが罷り通ったのか、それにしても国定忠治と云う人が民百姓に信頼されていたかが良く解ります。これが忠治極道誠心であり、これこそ世間に忠治親分の貫禄を知らしめた一因である。忠治はこの飢饉で子分らと分散して生活圏が裕福な者豪農商から借り受けた資金と忠治子分一人を連れ、現太田市、呑竜大光院から盗み出した二千両と子分が借り集めた資金を合わせて三千両を赤城村から佐波郡東村を含め、三十六ヶ村の住民の家族に、各家庭の人数割りであそこは五両ここは三両とわけ、一夜中に一軒一軒投げ込んだのである。指名手配中の忠治が赤城山を下りて飢饉を救い、忠治のおかけで飢饉を凌いだ村々は、なんとか平穏を取り戻した。時に代官にしてみれば、上州特有の博徒ぐらいの認識しかなかったのであろう。幕府では豪農商人差出金を依存せざるを得なかったが、それも一部の理解しか得られず切羽詰った状況であった。この状況の中で忠治が劇盗を演じたのは、流石に任侠美談としかいいようがないのである。この後の忠治の経緯は後ほど。 
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編集後記

さんぽみち三月号はいかがでしたか。今年はインフルエンザが流行し体調を崩された方が沢山いらっしゃったのではないでしょうか。私の娘の通う小学校でも学級閉鎖になるクラスが多くあり忙しい毎日でしたので手洗い・うがいはこまめに行い自己管理をしています。新入職員が緊張して仕事をしている姿をみていますと当時の自分も同じで職場に馴染んで皆様と上手くお話が出来、しっかりとしたお手伝いが出来るのか不安に感じていた頃を思い出します。今後も楽しい毎日が送れますように日々努力を重ねて行きたいと思います。
広報委員 芝田 浩正