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創春館新聞 「さんぽみち」

 さんぽみち5月号

さんぽみち5月号 目次

 

・新事業所『春らんらん』開設!

・『春らんらん』内覧会!

・今月の事業所便り

・院長先生の健康豆知識

・吾輩はジータである

・被災地レポート

・文芸作品

・今月の行事予定

・投稿コラム

・編集後記

 

新事業所『春らんらん』開設!

四月二十七日、内覧会を行いました 。

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 平成二十三年五月一日より、医療法人富士たちばなクリニックの新たな事業所として、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)と小規模多機能型居宅介護(小規模多機能ホーム)『春らんらん』が開設しました。当法人として十ユニット目となるグループホームと、三ユニット目となる小規模多機能ホームです。

 前橋市荒牧町に建つ『春らんらん』は、富士たちばなクリニックから西に、国道十七号線を横断し、朝鮮飯店やマクドナルド、シャトレーゼなどに囲まれ、緑の木々や公園も近くにあり、自然や、商業施設に恵まれた住宅地という立地です。
 開設にあたって、他事業所からの経験豊富な職員とやる気に満ちた新入職員が集結し、三月からは内装や備品の搬入が始まりました。三月十一日の東日本大震災は、春らんらんに整備された電気やガス、水道はもちろんのこと、床暖房や空調設備、スプリンクラー、火災報知器などの充実した設備のありがたさと、生きる幸せを強く伝えてくれました。
 私たち職員はその思いを忘れず、今まで以上の努力と、持ち前の笑顔と元気で、利用者様と共に安心して過ごせる温かみのある施設作りを目標に、頑張って行きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 
  小規模多機能ホームとは
 住み慣れた家、地域で安心して生活できるように「通い」を中心に必要に応じて「泊まり」「訪問」を組合わせて利用できる在宅介護サービスです。二十五名の登録制のため家庭的な雰囲気の中で楽しく過ごすことができます。また、年中無休なので、いざという時にも対応可能で、安心して在宅生活を送ることができます。必要に応じていつでも泊まりのご利用が可能です。今、泊まりの必要がない方でも、安心してご利用いただけます。
 
  グループホームとは
 認知症の状態にあって、共同生活住居において家庭的な環境の下で入浴や排泄、食事など、その他日常生活上のお世話及び機能訓練を行うことにより、入居者様がその有する能力に応じ、自立した日常生活を営むことができるようにする共同生活住居です。
 【ご利用対象者】
 前橋市在住の方
 要介護認定において「要支援」「要介護」の認 定を受けた方
 また、これから受けようとしている方
 
 
 春らんらん内覧会
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院長先生による、開設の挨拶並び来賓者の方の紹介がありました。
 
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下田施設管理者による開会挨拶何時もより、少し緊張気味でした。
 
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テープで大きな輪を作り、テープカットを行いました。
 
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テープカット、乾杯の後は、手作り料理をいただきました。豚汁、おでん、旬の物のてんぷら、サンドイッチ、等盛り沢山でした。
 
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これから、カラオケが始まります。準備ができるまで、暫しの歓談中です。
 
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各部所より、開設記念の贈り物が下田施設管理者に手渡されて、その度に、メッセージやパフォーマンスが飛び出し、喜びと驚きが入り混じったような、大変感動的な一コマです。
 
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創春館の『ヤワラちゃん』こと、  伊藤さんのパフォーマンスです。これからは、『春らんらんのヤワラちゃんです。』宜しく!
 
 
今月の事業所便り
 
あかしあの里Ⅱ 楽しいお花見
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 あかしあの里Ⅱでは、四月十五日にお花見ドライブツアーに行って来ました。桃の木川沿いの桜や近所の菜の花畑を二回に分けてドライブしたのですが、満開の桜の花を見て「綺麗だねーっ」と、感動されていました。久しぶりの外出と有って良い気分転換となったようで皆さんとても楽しまれていました。今後も入居者の方に喜んで頂ける行事を企画して行きたいと思います。
 
ケアセンター朱咲
 お花見ドライブ
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 ケアセンター朱咲では、四月十一日に敷島公園へ桜を見に出かけました。皆様とコンビニに寄り、どら焼きを購入し、車の中で食べながら満開の桜を見学しました。天候も良く、皆様「綺麗だねぇ」と美しいピンクの桜に心を打たれている様子でした。桜の下で記念撮影をし、表情は美しい桜の様に明るい笑顔であふれていました。皆様、とても喜ばれ大満足の一日となりました。
 
星辰の家
 沖縄ミニコンサート
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 四月二九日、星辰の家では、沖縄のバンド・レキオの御厚意で沖縄音楽を利用者様、職員共々楽しく聴かせて頂く事が出来ました。ゆめさき、朱雀の利用者様も見えられました。皆様、心も体もリラックスした様子が見る事が出来ました。沖縄の歌を聴き、沖縄の海や空の情景が浮かび、一足早い夏の気分を味わった感じがいたしました。星辰の家に、南国の風が吹きました。
 
クリニック通所リハビリ
製作三ヶ月!渾身の作品です!!
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 今月のクリニック通所リハビリでは、「切り絵」を取り上げたいと思います。切り絵は黒い紙を小刀やカッターで切り抜いてゆくため、黒が主役の画となります。切り抜いた絵を白の台紙に貼ると、そのコントラストがとても見事です。日本人の「白と黒」に対する感性は独特のものがあると言われています。墨絵や書道も同様です。今回の利用者様の作品は、まさに感性を刺激するような素晴しい作品です。特に「お城の切り絵」はとても細かい作業だったため、何度も挫折をしており、制作に三か月くらいかかっています。仕上げた利用者様の根気の強さと技術に脱帽です。
 
デイサービスわきあいあい
ぜひ来年も皆さんで
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 四月中旬にわきあいあいでは桜の花見ドライブに出掛けました。桜は満開で利用者の方々は目を潤ませ「きれいね~、いいわね~」と感激されていました。今年は開花も遅く地震後で、外出も控えておりましたので、今回のお花見は皆様にとって格別なものとなりました。「また来年も来たいわね」と皆さん笑顔で話されていました。
 
涼風の家
春の味覚を満喫
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 ある利用者様より、ふきのとうを食べたいとリクエストがあり、その日の散歩でふきのとうを取りに行きました。少し大きくなってしまったふきのとうを利用者様が見極め持ち帰りお昼は天ぷら、おやつはおやきを作りました。おやき作りでは、利用者様に教えて頂き、少し苦味のあるおいしいおやきを作ることが出来ました。春の味覚を食べたいと思った時に、すぐ楽しめる倉渕町の環境の良さを私自身改めて感じることが出来ました。
 
GHしらさぎ
大粒のいちごをパクリ
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 グループホームしらさぎでは、今回始めての企画で樽のイチゴ園に行ってきました。ハウスの中に入ると、甘い香りと真っ赤に熟した大粒のイチゴが鈴なりにぶら下がっており、まるでおとぎ話の中にでも入ったようでした。 その真っ赤なイチゴを、次から次へと口の中に頬ばり、童心に返ったように入居者全員がとても幸せそうな表情をして、召し上がっていました。また、帰路の途中の公園に立ち寄り、桜の花や、そのほかの草花を観賞しながら、おにぎりを食べ、春の香りと味覚を十分に満喫して頂き、楽しい時間を過ごしてきました。
 
あかしあの里Ⅰ
桃ノ木に桜の花?
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 四月十六日にお花見ドライブに出かけました。当日は天候にも恵まれて暖かい日でした。入居者の状態もあり、三名の入居者と共に桃木川沿いを、一緒に車から降り散策しました。桜の花が舞う中を入居者と歩き、「綺麗だね」「すごいね」など言葉が出て、有意義なお花見ができました。来年は入居者全員と出かけて皆さんに楽しんで頂きたいと思います。
 
明月 
笑顔が満開!
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 春光うららかな今日この頃、明月では恒例になりました桜ドライブツアーを四月の一ヶ月をDS・GH合同で行う月として、ご覧になりました。さすがの榛名山等の山々は言わんばかりの満開であり、利用者の方はピンク色に染まったのを感じ「春の知らせが来た。」としみじみと四季折々を振り返っていました。そして、来年も行ける様に楽しみにしてましょう。
 
デイサービスゆめさき
満開の桜に感激
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 八日~十四日にかけてお花見ドライブへと出かけました。ドライブを予定していた日に合わせてちょうど桜が見ごろになり、全日程を通して満開のソメイヨシノを楽しむ事ができました。今年は前半を前橋公園方面へ、後半を北橘の佐久発電所方面へとし、どちらも大変綺麗な花を咲かせており、それを目にされた利用者様からは感激の声が多く聞かれました。特に北橘の総合グランドへと出かけた際には、いくらか風が吹いていた為か、車の窓も開けてはおけない程に桜吹雪がとても美しい様子がみられました。お茶などを飲みながら、みんなで歌も歌い、今年も楽しいひとときを過ごす事ができた、お花見ドライブツアーでした。
 
療養棟三階
こちらは花より・・・
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 療養棟三階では十四日に桜餅作りを行いました。食紅を混ぜたもち米で作り、その中にあんこを丸めた物を入れ、桜の葉で包みました。利用者様によって形や大きさが違うので見て楽しむ事も出来たと思います。中にはまん丸の形の餅もありました。皆さん積極的に作って頂けました。その後、皆で召し上がっていただいて、「おいしい」と大好評でした。今後のおやつ作りでも作って行きたいと思います。
 
療養棟二階
感動的な誕生日会
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 四月二十七日に療養棟二階で今月九五歳から八十歳までのお誕生日を迎えた六名の方のお祝いをしました。誕生日者の生い立ちや若かった頃の思い出話・・・そして家族から内緒で聞いたお話などを紹介させて頂き、皆で昔の苦労した話に涙を流したり奥様からのタレこみによる夫婦喧嘩のネタに大笑いをしたりしました。お祝いに駆けつけてくれたご家族の方からは、直接お祝いや激励の言葉が投げかけられ今回参加できなかったご家族からはお手紙やメッセジーカードが届き、職員が代読させてもらいました。どのメッセージにもお父さん、お母さんに対する感謝の気持ちが沢山つまっていました。そしてBGMで流れる小田和正の曲が良い味を出し、とても感動的な誕生日会になったのではないかと思います。来年もまた盛大にお祝いできる事を今から楽しみにしています。
 
あかしあの里Ⅲ
手作りおやつ
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 手作りおやつで、蒸しパンを作りました。型に流した生地に、チョコレートやチーズなどお好きなトッピングを選んでもらい、おもいおもいにデコレーションしてもらいました。蒸しあがったパンをみて「すごくふくらんだねぇ。」「おいしいね。」「またつくりたいわ。」とたくさんの感想をいただきました。次回も美味しい物を作って、喜んでいただきたいです。
 
GHゆめさき
桜花見ドライブ
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 グループホームゆめさきでは、四月十日に日輪寺・敷島公園へ花見ドライブに出掛けました。前日は雨が降りましたが当日は絶好の花見日和で敷島公園も国体道路も人と車で渋滞し、車中から満開になり始めた桜並木に歓声を上げ「うわぁー綺麗だね」「八重桜もあるよ」と桜を満喫してきました。昼食は持参した手作りのお弁当を桜の下で広げ輪になり頂きました。春の暖かさの中一入でした。入居者の方々に喜んで頂き良かったと思います。これからも楽しい企画で笑顔で過ごして頂きたいと思います。
 
通所リハビリ
日輪寺境内でお花見
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 三月十一日の東日本大震災の被害は、各地に大きな傷跡を残し、復興への道のりも厳しいものがあります。日本全国で『お花見』をすべきか、自粛するべきかが話題となりました。通所リハも、お花見ドライブを楽しみにされている利用者様がおられる一方、ガソリン不足が深刻になった一時期は皆様にご協力頂いたこともあり、例年のようなドライブはできないという決断に至るには時間がかかりました。年に一度の桜の花、天候も良くなってくるに従い、外出しないのも切ないものです。路ばたの花を見ながらの散歩、そして日輪寺にある立派な桜でお花見はどうかという画期的な意見に話がまとまりました。四月七日より春の暖かい風を受けて散歩を開始。日輪寺で花見を・・・と思いましたが、散歩するには少し距離が長く、車椅子の方には特に大変でした。そこで、日輪寺までは車で移動し、境内の桜を楽しむことにしました。ある利用者様は、「主人が消防団の時に植えた桜が見られて良かった。」としみじみ語られ、樹齢五十年を超えるの桜の木々を前に喜びの声をたくさん聞くことができました。シャボン玉とばしの競争もしました。「ホラホラ!大きいよ!」「見て見て!こんなにたくさん!」と童心に帰った利用者さんの歓声です。「今年も桜の花が見られて本当に良かった」かつて経験したことのない大変な時だからこそ心なごまされた感動のひとことだったかもしれません。未だ余震の続く落ち着かない毎日ですが、来年は被災地でもこの桜を楽しむことができますように・・と被災地の復興を祈らずには居られません。
 
 
 
院長先生の健康豆知識 
 
   ユッケによる食中毒と
       放射線事故について
 
 ユッケによる食中毒症状の数日前に、ユッケを初めて一口食べました。ゴールデンウィーク、孫達との夕食でのことですが、幼い孫達が生の肉をペロペロと食べているのを見て、何かしら不気味な印象をもったのですが、脇から「珍しいものを食べるのね。こんな生の肉食べたことないわ、何か気持ち悪いわね、一口頂戴」という女房の発言につられて、私も恐る恐る箸を出したのですが、やはり私達の世代では牛の生の肉というのには違和感を感じました。そうしたらあの騒動です。騒動の翌日、娘などは朝食を食べたくないというものですから、「どうしたの」と訪ねると「ユッケを沢山食べた自分や子供たちの食中毒が心配で気分が悪いの」という始末です。もう3日も経っているから大丈夫だよと言いましたが、実際は一週間以上経ってから、下痢や血便などの症状が出てくるケースもあるそうで、娘の心配も杞憂ではなかったようです。先月号のこの欄で放射線障害の話をしましたが、多分今回の放射線騒動では、工事関係者を含めて一人の死者も重篤な障害を残す人も出ないでしょう。翻って今回の食中毒の死者です。全く人生ってどんな落とし穴が待っているか分からないとつくづく考えさせられます。しかし、本当は、気付かない落とし穴というのは、いくらか注意不足で、ちょっとじっくり考えて見れば落とし穴の存在に気付くことも多いようです。生の肉を食べることの危険性について気付いていれば、食中毒になる確率も少なくなるのです。
 すぐ隣の国であり、人種的にもほぼ同じなのに、韓国と日本では風俗、習慣が随分違う面があります。犬の肉を食べる韓国人に日本人は目をそむけますが、韓国人からしたら馬の肉を食べるなんてとんでもないことのようですし、刺身などもようやく食べられるようになってきたそうです。ユッケに慣れ親しみ、扱い方になれた韓国人からすれば、ユッケの食中毒で大騒ぎされ、それで韓国料理がおとしめられるとすれば迷惑な話であるに違いありません。ゴルフ場での昼食中、実業家で敬愛する後輩がとても的を得たいい質問をしてきました。「日本のような最先端の医療でも食中毒を治せないの?」「食中毒でも今回のような病原性大腸菌の毒素が全身に回ると、現在の医療をもってしてもとても難しい状況になるんだ」と答えながら、ほぼ同様の症例で悪戦苦闘した研修医時代の事が思い出されました。今回のような食中毒で死に至る成り立ちや経過そして治療などを事故に例えると、福島の原発事故以上に難しいものとなります。原発の格納器を私達の大腸に、燃料棒を大腸菌と考えて見ましょう。融けだした大腸菌は病原性大腸菌という訳です。病原性大腸菌なり毒素が腸管内(格納器)だけの問題で済むなら、事は簡単です。大部分の食中毒はこのタイプで数日の下痢や腹痛、吐き気などの後、腸管粘膜の再生(格納器の修繕)とともに回復します。
 重大事故は損傷を受けた腸管粘膜(格納器)からとび出た細菌やベロ毒素(放射性物質)が全身の血液に紛れ込む時に発生します。撒き散らされた毒素により全身の小さな血管が損傷を受け、その損傷の拡大を食い止めようと血小板という消防士が動員されます。あの震災の時の火事のような状態です。自分の身体だけでは動員が追いつかず、他人の血小板を輸血して貰う事になりますが、圧倒的に火勢が強く、腎臓、脳など次々と臓器が壊され、ついには心不全、呼吸不全にまで至ります。まさにてんやわんやの状態です。事態を収束に向かわせる為には、細菌と毒素の除去が真っ先に行なわれなくてはなりません。ちょうど今回の事故で燃料棒の冷却が何より優先されたように。そこから徐々に事態の沈静化に向かえるのです。こうした重大事故の食中毒に立ち向かうには相当修練を経た内科医でなくてはとても手に負えません。そして困難で厳しい事故現場となります。食中毒と原発事故というのをこうして対比してみますといかに大腸粘膜(格納器)が大切かという事がよく分かります。病気の重大性の鍵は大腸粘膜が担っているのです。中毒の原因となる細菌や毒素の身体への侵入を防ぐ処置はもちろん大切ですが、同じ物を食べても下痢をする人や平気な人もいる例が示しているように、日頃から胃や小腸も含めた消化管全体の健全化(格納器の保全、点検)に努めることも大切だという事に気付いて欲しいのです、私などは健全化の為に出来るだけ野菜を多くとるように心掛けています。
 
 
 吾輩はジータである
   ―そしてまた貴方に恋してる―   東郷 彦四郎
 
 第四章  出会い
 
 「一目会ったその日から恋の花咲く事もある・・・」という名文句を言っても若い孫たちにはピンと来ないじゃろうが、恋の花が咲けば「パンチDEデート」という訳じゃ。恋する気持になれば、二人きりで会いたいというのが自然な摂理というもんじゃ。リンさんから送られてきた十cm四方の写真を見た真一は、恥ずかしげに俯きかげんにこちらを見つめる少女に、それこそ一目で恋に落ちたんじゃ。うす汚れた手帳の間にその写真をはさみ、軍服の内ポケットに忍びこませていたんじゃが、時々そっと取り出してはニッコリ微笑みかけ、時にはあたりをキョロキョロ見まわしながら、ドキドキする鼓動と共にリンさんの身体をそっと指でなぞり、恐る恐る「いや!」と拒否されるのを恐れるかのように口唇を近づけたんじゃ。若い男の激情はそんな風に一気に燃え上がるんじゃ。ましていずれ死ぬ身と覚悟を決めた軍人真一にとって、リンさんとの思いもかけない出会いは、熱い熱い衝撃となって真一におそいかかった。一方リンさんはといえば、送られてきた軍服姿の真一を見ても比較的冷静じゃった。そこには当時とすればすらりとした身長百六十五cm位の、一重瞼もりりしい軍服姿の当時のイケメン(通リハ D井君だ!!)が立っていたが、どうかこの方が無事でいて欲しいという思いはあっても、恋する気持にはならなかったんじゃ。「若い女性は夢から恋をする」という言葉があるが、若い女性が夢を持ちようのない時代であってみれば、リンさんも恋する気持なんぞ持ちようもなかったかも知れん。
 真一は燃えていた。燃えて燃えて写真に口づけしたり、抱きしめたりするだけでは耐えられなくなったんじゃ。大っぴらに恋する気持が許される時代じゃなかった。それでも迫りくる出兵を前に何としてでもリンさんに会いたいと思ったんじゃ。呉と前橋じゃどの位離れているか。当時とすれば大変な距離じゃ。リンさんからすれば、まさか会いに来るなんて想像もしていなかった。そんなリンさんに、4月に貰える休暇を利用して上野まで行きますから来てくれませんかとの手紙が届いた。若い男の熱情に感動したが、途方もない提案じゃった。上野は遠い世界だったし、男の人と二人きりになるなんてとんでもない事だった。しかし、この人は出兵して死ぬ事を考えているとその切実な思いが伝わり、迷いに迷ったんじゃ。そして、リンさんには思い切りがよくて、最後にはひらきなおる一面がある。リンさんは神様に相談することにした。明日の午後青柳大師にお参りに行き、門から本堂に向かう参道で、最初にすれ違う人が男性なら行く事にし、女性なら行かないと決めた。どちらかと言えば、当時お参りするのは圧倒的に女性の方が多い場所だから、リンさんはほぼ行かないと決めていたかも知れんのう。断る理由を作ろうとしていたリンさんだから、翌日ドキドキしながらもいくらかワクワクする気分で門をくぐったんじゃ。境内には幾人かの男女が目に入ったが、圧倒的に女性の姿が多く、リンさんはいくらかほっとした気分で向かってくる女性を待っていたんじゃ。その時突然右手斜目前方から小走りで「リンさん久しぶり」と近付いてきた青年がいた。頭をまるめた痩身の修行僧だった(療養棟HI熊君だ!)。ちょうど庭掃除をしていたころ、以前から顔見知りのリンさんに声をかけたという訳じゃ。リンさんは突然「朴念さんのお仕事って素敵ですね」と自分でも考えてもいなかった言葉が出てしまったんじゃが、思いもかけない仏の配慮に感動したんじゃ。私も上野へ行きますと返事を書いたのはその日の夜の事じゃった。呉から上野へ行くには、いくつか電車を乗り継ぎ十数時間の長旅じゃ。まるで飛行機でヨーロッパへ行く程の時間がかかる。お尻がしびれて痛くなる程の座席で、沢山の荷物や人に囲まれながら、ガタゴト、ガタゴトを伴奏にひたすらリンさんへの思いにふける真一じゃった。リンさんはと言えば、工場へは実家の法事があるから新潟へ帰りますと休暇を貰い、寄宿するおばさんには、友達と高崎迄買い物に出かけますと言って家を出たんじゃ。
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二人共上野駅は初めてじゃった。改札口でと待ち合わせたんじゃが、いくつか改札口があり、そして上野駅の雑踏は二人の想像を超えていた。人混みに翻弄されながら、あっちの改札口、こっちの改札口とウロウロしながら途方にくれたんじゃ。その時の二人のせつないまでの必死な気分、何ともいじらしいのう。今でもその光景を思い出すとジータは涙が滲んでくる。こうして迷った時は、じっとして相手を待つのが一番だ。そして待つのはこの私だとリンさんは気付いた。中央改札口はどこですかと駅員にたずね、広い改札口を出て二十m程の所で改札口から出てくる人達をにらむようにリンさんは見つめていた。しばらくしてリンさんの後ろから鈴の音が聞こえてきて、ふっとふり向いた先に、いたずらっぽい笑顔でリンさんが送った鈴を顔の前で振っている青年がいた。それが二人の最初の出会いじゃった。沢山の足音や声が渦まく中で、楽しそうに鈴を振る青年とそれを不思議そうに見つめる少女がクローズアップされる。映画のワンシーンとしてはうってつけの場面と思うが、如何かな?「リンさんですね!」と青年が声をかけたのはそれからすぐの事じゃった。「はい!」とうなずきこわばった顔で返事をするリンさん。それからの二人の行動は次回の事としよう。若い男女が大っぴらに恋を語らえる場所はほとんどない時代じゃった。しかし、「都会の空気は人を自由にする」という言葉もある。上野という都会が二人にどんな自由を与えてくれたかは次回のお楽しみじゃ。可愛い孫達よ「増やすなら微笑みのしわを」という言葉を贈ろう。微笑みを浮かべ寝るようにしてごらん。ジータはいつも君達を見守っている。
 
 
 
被災地レポート
        被災地派遣
 
 四月十八日から二十三日まで被災地の宮城県気仙沼市へ介護派遣にいきました。その中で、自分が担当した気仙沼総合体育館では、メインアリーナ・サブアリーナ・武道場・弓道場といった施設の中に、被災に合われた千人以上の方が生活をしていました。それぞれのアリーナでは班分けされており、メインアリーナの第六班に介護や見守りが必要な方々がいました。六班を中心に活動していきながら田班にいる認知症の方については、ご家族の方が日中、ハローワーク等で不在の間、見てほしいとの要望に応えていく日々でした。また、一般の人には認知症の方への理解が難しく、苦情等もきかれていました。そんな状況の中、私たちスタッフは、一人でも多くの人に笑顔を取り戻してほしいと、晴れた日には、外へ散歩に出かけました。その表情は、体育館にいる時と違い、明るい表情に変わっていました。散歩の途中では、つくしをとったりして少しずつ季節を感じていました。また、介護スタッフと被災者の方と折り紙で鶴を折り「虹の架け橋」をつくっている途中で、一人の介護スタッフが体調を崩してしまいました。しかし、医療スタッフ、介護スタッフが一人の職員を気遣いながら助け合う事ができました。こんな環境での一つ一つの出来ごとが絆であり宝となりました。最終日、まだまだ「いなくちゃいけない」「いたい」と強く思いました。たった五日の短い期間で「いったい何が出来た」のか、自問自答を繰り返してきました。そして大切な事は、一人でも多くの人に被災地での経験を伝える事だと感じました。
           
                                      星辰の家グループホーム  飯野 雅実
 
 「東日本大震災」被災地支援に参加して
 
 歴史上、世界で三番目の大きさマグニチュード九.〇の巨大な地震が東北、関東地方を襲ったのは三月十一日のことでした。
被災地から離れた、ここ群馬県でも恐怖を感じる程の威力でした。しかし、地震発生当時、誰がここまでの被害を予測したでしょう。テレビのブラウン管を通して見た津波に飲み込まれていく街の姿は、とてもこの世の風景とは思えませんでした。地震発生翌日、津波が去った街はどこも、建物が見る影もない程になっていました。そんな被災地に自分が行くことになるとは夢にも思いませんでした。
 四月二日、被災地介護支援班の第二陣として、宮城県気仙沼市を訪れました。第二陣は全体で二十八名程で五箇所の避難所に分かれて派遣されました。その中で、私を含めた五名は気仙沼総合体育館と言う場所へ派遣されました。総合体育館は通常五百名定員なのですが、私が行った時は八百~九百名の方々が避難されていて、一番大きなメインアリーナ、サブアリーナ、武道場の三つの部屋に振り分けられていました。避難者の方々は皆、顔がやつれ、疲れきっている様子でした。私達は、体育館に到着すると看護班のスタッフより申し送りを行なっていただきました。当時、体育館には数名のノロウイルスの可能性のある方がいて、隔離されていることや、要介護者のいる場所などを教えて頂きました。
震災2.jpg 
 その後、私達は自衛隊の炊き出しによる夕御飯を頂いてから休憩を挟み、夜勤を交代でおこないました。夜勤は基本的にメインアリーナにいる要介護者の見守りと、トイレ介助でした。四月前半の東北は、まだ寒く、特に夜はとても冷え込みました。日中は、皆さん入浴や着替えが出来ないため日替わりで足浴やフェイスタオルで全身を拭かせていただきました。タオルを濡らすためのお湯は駐留していた自衛隊から頂きました。全身を拭かせてもらうと、皆気持ち良さそうな顔をされ、丁寧にお礼を言われました。空いた時間を使って、要介護者の方と折り紙をすると、夢中になって鶴を折られていました。コミュニケーションを深めるにつれ、皆さんの表情がとても明るくなっていく事を感じ、とてもうれしく思いました。それと同時に、別れが近づいてくる事が悲しく、寂しく感じました。最終日、要介護者の方々一人ひとりに別れの挨拶をすると、皆、涙を流されて「辛いけど、しょうがないよね」、「いつまで続くのかね」などの言葉が聞かれ、私も胸が熱くなり言葉が出てきませんでした。気仙沼の方々は、皆、明るく、人情味溢れる人ばかりでした。なので、あの方々に支えられる気仙沼は近い将来必ず復興すると信じています。そして、私も再び気仙沼へ行き、お世話になった方々と笑顔で再会できる日を願っています。
被災地支援と言う貴重な体験をさせて頂き誠にありがとうございました。
                                              通所リハビリ  土井 健士
 
  災害派遣ボランティア
 
 四月二~七日の六日間、宮城県気仙沼市総合体育館へ災害ボランティア活動に参加させて頂きました。
総合体育館は市内で一番大きな避難所で高齢者の方も大勢避難されており、要介護者の方々の生活支援をお手伝いさせて頂きました。
家や家族を失い深い悲しみを抱える中で協力し合い励まし合い生活されている姿があり、力強く前に進んでいることを実感しました。まだまだ復興、復旧には大変な時間がかかると思いますが、一日でも早く以前の穏やかな生活に戻れるよう願っています。
今後も復興の力になれるよう日々自分に出来る事を考えていきたいと思います。
     GHゆめさき 永倉淳也
 
 
文芸作品
 
植木鉢 移す手に這う ワラジ虫
        今日啓蟄と 我は気づけり
 
老妻への 感謝の一語に 想ひ出の
        湧き来て今宵 金婚祝ふ
 
八十代 免許更新 あきらめて
        若芽ふくらむ 誕生日の朝
              影山 えいじ様
 
ごりょう沼 サクラ咲いたか 楽しみだ
              小竹 喜代子様
 
ボール突き みんな喜ぶ おにいさんと
              鈴木 總平様
 
 
 今月の行事予定 
 
☆GHゆめさき☆
 5日 端午の節句
 8日 母の日
18日 大室公園ドライブ 
 
☆GHしらさぎ☆
 5日 端午の節句
中旬 赤城山へつつじ観賞ドライブ
下旬 おやつ作り
 
☆療養棟二階☆
18日 おやつ作り(五目寿司)
25日 お誕生日会
 
☆通所リハビリ☆
 5日 端午の節句
 9日 母の日を祝う会
10日 さくら筝
16日、19日、21日 お誕生日会
23日 湯浅先生のちぎり絵教室
28日 民謡踊り教室
31日 晃峰会
 
☆DSゆめさき☆
 4日 ブッチーライブ
 5日 端午の節句イベント
 9~12日 つつじドライブ
16~18日 映画上映会
19~20日 おやつ作り
20日 田口町寿会慰問
23日、28日 お誕生日会
 
☆涼風の家☆
12日 いきいきサロン
20日 バーベキュー
おやつ作り  未定
 
☆朱咲の家☆
28日 お誕生日会
 5月中
鯉のぼり見学ドライブ
つつじ見学ドライブ
たれ藤見学ドライブ
随時実地
 
☆あかしあの里Ⅱ☆
 5日 端午の節句
 8日 母の日のお祝い
 バラ園見学(日時未定)
 作品作り
 
☆わきあいあい☆
 5日 端午の節句 すしパーティ
 6日 お誕生日会
 9日~14日 母の日のイベント
21日 おやつ作り
 
☆DS・GH明月☆
 5日 DS・GH合同 こどもの日
   DS・GH合同 母の日
DS
 お誕生日会
 ドライブ
GH
 お誕生日会
 おこわ会
 ドライブ
 
☆療養棟三階☆
12日 母の日
19日 おやつ作り(五目寿司)
26日 お誕生日会
 
☆星辰の家☆
12日 お誕生日会
16日~19日 いちご狩り
 
☆あかしあの里Ⅲ☆
 5日 菖蒲湯
17日 手作りおやつ
20日 お誕生日会
 
☆あかしあの里Ⅰ☆
 7日 お誕生日会
 8日 母の日
下旬 外食ツアー
 
投稿コラム
                     坂本正之助
 忠治も赤城山中に立て籠ってから早六年の年月が過ぎ、この間善悪を通して親子救出から仮にもお上から十三を預かる二足の草鞋を嫌悪している山形屋藤蔵を脅かし百両の金を取ったことで関東取締役、羽倉外記から中山誠一郎と替った代官が官八州の役人を集め忠治逮捕に全力を上げ、尚一層厳しくなった。この頃忠治は山中で六年程も過ごしているので、サカヤキは伸び放題で、変り果てた姿であった忠治も、この山の生活もいよいよ最後になるのではと思い、己の身支度を清潔にしておかねと思いついたのか(現 太田市)大光院門前通りにある馴染の床屋・海老床であるこの床屋はお徳と親戚にあたる店で忠治はお徳の家に行った時に度々お世話になっていて馴染だった忠治は久しぶりにお徳とも会っていまいからサカヤキでも済んだらお徳の処にでも立ち寄って一杯やってくるからと思い、子分も連れずに現 赤堀あたりを出発したのが正午すぎであった(現在でもこの海老床の跡地があり、松の木に海老床跡地忠治激闘の跡と書いた表札が下がっています。)忠治が海老床に着いたのが午後二時頃、御免くださいと海老床の戸を開けると主人の貞吉が驚き「親分お久しぶりでござんす。達者で何よりです。」と貞吉の女房と出迎えた。忠治は「有難う、ご無沙汰してすまねえ。」と言葉を返し「ついては長い山篭りで変り果てた姿でござんよ。とりあえずサカヤキと髪結いをお頼の申す。」と貞吉に頼み鏡の前に腰を下した。貞吉がサカヤキを擦り終わると、表に一人の男が入って来た。「ご主人お邪魔します。」と貞吉の後に立ち止まって「商売繁盛で何よりだ。何も変わったことはないかね。」と云って腰をおろした。貞吉は「旦那も達者で何よりです。」と云うと、男は「主人近頃俺も鳥目でな余り近くが見えなくなってな。」と、貞吉「それはそれは大事になすって下さい。」といった。この男所詮岡引なのである。当時役人といえば与力・同心・目明・岡引と四段級で取締りを行っていた。この四段級の上に代官がおり、与力とは現在の駐在所の親方で、同心とは親方の下で現在の刑事に命令する即ち式を取る役である。目明は現在の刑事である。岡引は目明の下働きをする犬である意味、要するに世間での悪い噂を色々と目明に言い伝える今でいうチンコロである。これによって目明からいくらかの小遣を貰って生活をしているのである。即ち雑用人にすぎないのである。さて岡引が貞吉に邪魔したなと表へ飛び出して行ったので貞吉は岡引が鳥目などと言いながら忠治親分の顔を見て目明に報告に行くのだと思い、手取り早く髪結いに手を掛けたがひとときも経たずに表に数十人の捕手が来て忠治御用だと叫んだ。貞吉は慌てて店の奥から二階へと導き、忠治は屋根裏から屋根に逃れた忠治、屋根から見下ろすと日の暮れた海老床の前に御用提灯が四方から揺れ動き、その群れから「忠治御用だ 神妙にしろ。」と捕手達の叫び声であたりは騒然となり、その中から様子を駆け登って来た捕手達を忠治は数人切り落としたり、蹴り落としたりしたが辺りはすっかり日が暮れて屋根の上の忠治は逃げ場を失った。ただただ忠治は屋根の上から下を見下ろすだけであった。丁度その時、聞き覚えのある「忠治御用だ 神妙にしろ。」という声が聞こえた。それが子分の浅太郎の叔父・勘助の叫び声だった。聞いた忠治は「おのれ勘助 恩も義理も忘れたか。」と勘助に怒鳴ると、勘助は捕手に向かって裏手に手配りがない、裏手に手配りをと云った。これは忠治に裏手に手配りがないから逃げろという忠治に対しての助言であった。だが忠治は助言だとは知らず咄嗟に裏を見ると一人の捕手もいないので屋根から飛び降りて赤城に向かって逃げ延びたのである。忠治が赤城山中の子分の処に戻ったのが現在の時刻の十時を過ぎた頃だと云う。親分を待つ子分達は無事で何よりと迎えたが忠治にとって浅太郎の叔父・勘助の行動にいきり立ちが治らず、すぐに浅太郎を呼び出し目の前に正座をさせ、「浅、てめえの叔父勘助は、犬畜生にも劣る人間だ。俺の恩義も忘れ今日の仕草は何事だ。浅、てめえ今は海老床に行くのを知らせたんだろう。」といい、根も葉もないことを云われた浅太郎は悔しさの余り叔父と二心のない証にと即刻三室村の勘助の処へ向った時に時刻は現在の十一時を過ぎていた。これが義理が絡んで身を切る運命の浅太郎と勘助の出来事は、次回のさんぽみちに御期待下さい。 
 
編集後記
  今月のさんぽみちは、いかがだったでしょうか。先の東日本大震災の余震がいまだに幾度と有り、気を緩める事が出来ない状態ですが、少しずつ復興してきているニュースを見ると、人と人とのつながりがとても大切な事だと実感します。我法人グループからも、順次スタッフが復興支援に参加しています。
 五月より、荒牧に『ケアセンター春らんらん』が新しく仲間入りしました。大変明るい施設です。よろしくおねがいします。
今月号も内容盛りだくさんでお届けしました。来月もお楽しみに。        
  グループホームしらさぎ  石川 健一