先日、墓参りと友人の長男の結婚式を兼ねて、兵庫の実家へ帰ってきました。前橋から実家までは新幹線で約6~7時間程かかる長旅となります。東京から乗り込んだ「のぞみ」は、新大阪で「ひかり」に乗り換えが必要でした。「もうすぐ新大阪に到着します」のアナウンスに、棚にのせていたバッグを降ろし、読みかけの本と眼鏡を忘れないようにと(特に眼鏡は最近かけだした為忘れがちです)注意しながら詰め込み、「あーあ関西の空気」だと大きく息を吸い込み乗車口から階段へ降りかけたところ、ふと、あれ、荷物は両手に持っていた筈だと気付きました。同時に、「あっ、結婚式のための礼服を棚に忘れた!」とひらめき、「もう間に合わない」ともひらめいたのですが、後ろを振り向いたら、その新幹線が止まっており、出発のブザーが鳴っていました。運よく、側にいた駅員さんに「礼服を忘れた!」と叫んだら、駅員さんは「すぐに取ってきて下さい!」と怒った風に言ってくれ、何とか事なきを得ました。実家に着き、夕食は姉と2人で外食したのですが、その後、すぐ近くの、古い大きな屋敷に、たった1人で生活している、83歳のおばさんを訪ねる事になりました。武家屋敷のようなくぐり戸の付いた大きな門構えの家です。生まれも育ちも大阪、そして結婚してからもずっと大阪で暮らしてきたおばさんは、夫の死後、夫の実家を守る為、姫路に移り住んできたのです。姉と3人して嫁と姑の話で盛り上がったのですが、姉が「あの時私の母がおばさんにレースの付いた服を気前よくあげましたよね」と言ったら(おばさんは母の弟の嫁です)。「そうね、あの服をこの前私のいない間に嫁が来て、持って帰ってしまったよ」と怒っているのです。40年以上前の服をと姉と顔を見合せたのですが、そう言えばあの時、「夜遅くに若い人達が黙って庭に入ってきて、車座になって座っているので、もう恐くて恐くて、テレビを付けたら、人がいないと思っていたんでしょう。パーっといなくなったわ。ほんとに恐かったわ」、と言っていた話もいくらか怪しくなってきます。ロシア正教の教会であげられた結婚式は、心のこもった良い式でしたが、説教と合唱の組み合わされた、動きのない長い劇仕立てで、立って見ていたものですからとても疲れました。式も終り、新阪急ホテルに移動し、宴会迄時間があったものですから、友人と旧交を温めようと、1階にあるスウィーツ専門店で、友人を待っていました。しばらくぼぉーっとしながら、テーブルに置かれたメニューを見て、30代後半の責任者風のウェイターに右手を挙げて合図を送りました。怪訝そうに近づくその人に、「あの 注文を」と言うと、「注文はもううかがっていますが」と平然と言うのです。何を注文したか忘れるのならともかく、注文した事まで忘れるなんて「アルツハイマーか?」と一瞬愕然としました。「デラックススウィーツ」という、果物とケーキのミックスされたのとホットコーヒーが来た時、ああこれを注文したとかすかな記憶が甦り、2度目に注文しようとしたのも同じだったので、いくらかほっとしました。帰りは、新大阪駅でお茶とお好み焼きせんべいと甘栗を買い、車中、さんぽみちの原稿を書いたりして東京駅に着きました。上越新幹線に乗り換えて、しばらくして、ビニール袋に入れたお好み焼きせんべいと甘栗そして2つに折り畳んだ原稿を、前の座席の網の袋に置き忘れてきた事に気付きました。バッグと礼服はしっかり確保していましたが…。品川駅で席が空いたので、移動していたのでした。という事で、車中でどんな原稿を書いていたのか忘れてしまったので、今こうして旅行のいきさつを書いてみました。一連の出来事をこうしてまとめて思い出せるので、認知症ではなく、疲労と年令からくる物忘れ症状と考えていますが、如何でしょうか。
我輩はジータである そしてまた貴方に恋している 東郷 彦四郎
第六章 「二度目のデート」
数年前、創春館通所リハビリで、利用者の方々から戦争にまつわる思い出話が聴取された。リンさん担当のスタッフは栗原君だった。その頃結婚前の彼は、今と違ってスラリとして、介護技術は未熟だが、実直さが売り物の好青年だった。創春館リハビリルーム片隅の静かな一角で、机に重ねられた手と、和服姿でちょこんと座った姿が、まるで正座しているかのような、テーブルの向こうのリンさんに、
栗原(以下K):「戦争中の話を聞かせていただきたいのですが」(といきなり本題だ!話の糸口として、天気の話とか、体調はどうですか、とかありそうなものを)
リン(以下R)(にっこり微笑んだ瞳はつぶらで、しわに刻まれた頬には、まだ若い頃の膨らみが感じられる):「戦争中の話ですか…。大変な時代でしたよね…」
K:「リンさんは…今もとても可愛いのですが(お年寄りにはなかなか言えない言葉だが…)当時は16、7才ですよね。とても可愛かったでしょうね。」
R:「まあ…可愛いなんて…。年寄りをつかまえて…」
K:「いやぁ、可愛いですよ(と心に響かない台詞だ!)好きな人とかいたんですか(と、とんでもなく直線的に)
リンさん、とまどい、俯きながら
R:「…古い昔の事ですから忘れてしまいました。」
と笑いながら答えると
K:「忘れたって事は居たんですよね(と、刑事みたいだ!)デートとかしたことあるんですか(と無邪気にたずねる。そんな聞き方では答えようがないだろう!)」
案の定
R:「デートなんてするそんな人はいませんよ」
とニコニコしながら栗原君の目を見つつ答える。栗原君その後の会話が続かない。
リンさんの述懐。
「栗原さん、嘘を言ってごめんなさい。今は年老いたこんな私でも、若い頃があり、デートもしたんです。今でもはっきり思い出せる、2度目の真一さんとのデートの事をお話ししましょう。あれは終戦2年前(1943年)4月、日本本土にはまだ空襲はなく、戦時下とはいえ、いくらかのどかな雰囲気も味わえた、丁度満開の桜が散り始めた頃の事です。真一さんからの手紙で、戦地に行く事になった、ついては赴く前にもう1度是非会いたい。横須賀から出港なので、足をのばして君の住む群馬を見てみたい、高崎迄なら何とか都合がつく、との切羽詰ったような文面でした。最後に、思いもかけず、私の髪を、会った時に欲しいとも書いてありました。「髪を欲しいという事は…」と考えて悩んだ時もありました。また当時は「男女七歳にして席を同じうせず」という時代でもありました。上野では何とか人混みにまぎれられたが、高崎で2人きりは世間の目がどうかと、あれこれ悩み、友人の永井久美子に相談しました。2人は工場で「お多福頬っぺ姉妹」と呼ばれ、仲が良かったの。久美子の屈託のない明るい元気にいつも励まされていました。「会わないと後悔するかも知れないわよ。大丈夫、私がついて行ってあげるから」の言葉に、行く決心をしました。人目についても大丈夫なように、2人で相談して、衣装は、久美子は白のワンピース、私はおばさんの和服と日傘を借り高崎へ向かいました。(横で久美子が異常にはしゃいでいた。)高崎駅改札口で、2人は日傘で顔を隠すようにあの方を待ちました。(横で久美子は異常におしゃべりだった。)私を見つけ近づいてきたあの方は、すこし離れたところにいる久美子を見て、小さな声で「お姉さんですか、今何ヶ月ですか?」とまじめな顔で聞くものですから、横ですました顔をしている久美子のお腹を見たら、もうおかしくってくすくす笑ってしまいました。「いえ、2人きりだと人目も心配だから友人についてきて貰いました。それに、久美子は独身です」と独身を大きく言ったら、久美子は私達の方へ来て、「友人の永井久美子です。遠い所から御苦労様です。折角来ていただいたのに残念ですが、用事があるので、そのうち失礼します。」と元気よく挨拶したのです。久しぶりにお会いしたあの方は、白いカラーのついた兵服を脇に抱え、白のワイシャツ姿でした。なつかしい、身体全体から漂う清潔感と、ワイシャツからうかがえる逞しい胸がくっきりと目の前にあらわれ、もっと近づきたいという衝動がありました。久美子の提案で、駅前から西へ向かうチンチン電車の通りを歩き、高崎公園へ向かいました。多分私達3人を見た人は、出征兵士と、それを送る母と妹の様に見えたでしょうね。桜の花びらが風で舞い散る公園で、久美子と二人で作ったお弁当を広げたのは、お昼頃だったかしら。久美子が「じゃあ、そろそろ私は帰らなくちゃいけないから。下の河原に人目につかない花見のいい場所があるから」と教えてくれました。公園から下に降りていくと、烏川には幾漕かのボート遊びをしている人がいて、家族連れもいたのですが、戦争前のにぎわいとは違い、いくらかひっそりとしたものでした。桜の木に囲まれ、花びらが一面に舞い散った、人気のない広い所に来た時、真一さんが「野球をしよう」と言い出したんです。「野球なんて知りません。」と応えたら、10m間隔位で、4ヶ所に花びらをこんもり盛り上げ、「正方形ができたでしょう。これをベースといって順番に回り、4つ目を踏んだら得点が入るんだ。投げる人と打つ人がいて、リンさん、投げる役」と言って投げる真似をしたの。なかなか真一さんの様に腕が回せなかったら、私の後ろにまわり、私の手をとり教えてくれました。あの時背中に感じた真一さんの身体と首筋にかかる息から、とても重大な事が起こりそうな気がして、いくらか身を固くしました。何事もなかったように真一さんは小枝を拾い、4つ目のベースに戻りました。「リンさん投げて」と身構えた真一さんに、投げる真似をしたら、「カーン、ホームランだ!」と叫び、嬉しそうに盛り上げた花びらを蹴散らしながら四つのベースを回りました。蹴散らされた花びらの舞いが、今でも目に浮かんできます。「今度はリンさんの番だ」と言うので、真一さんの真似をして小枝をふり、着物なものですから、ほとんど歩きながら順番にベースを踏みつけ、4つ目のベースに着いたら、「万歳!リンさん、こういう時は一緒に得点をお祝いするんだよ」と私の両手をつかみ、一緒にその場で飛び跳ねました。真一さんの両手の強さに、訳も分らず恥ずかしくなり、思はず手をひいてしまいました。
公園から橋を渡り観音様に向かったのは、4時頃だったでしょうか。くっきり晴れ渡った青空を背景に、浅間山や榛名山、妙義山そして遠く秩父の山々までくっきり見る事ができ、白く大きな観音様がそれらの山々に守られてるかのようでした。今とはまるで違って、観音様のまわりには家はなく、木立に案内されるかのように参道がしっかり見渡せました。参道の脇の広場で子供達がボール遊びをしていました。「リンさん、あれも野球ですが、三角ベースといって、ベースは1つ足りないんだけどね、同じ様に1週まわれば1点です。」と説明してくれました。そして、「またあんな風に野球ができればいいなあ」と寂しそうにつぶやきました。何故かたまらなく悲しくなりました。下から見上げる観音様の左手には、巻き物の様なものが握られており、その左手首にそっと右手が添えられ、とても優しく感じられるお顔でした。おばさんの話では、あの巻物は経文ではなく、実は、誰かに届けようという恋文だと聞きました、と言ったら、あの人は「リンさん、ちょっとこの上着を持ってて下さい」と言って、笑いながら観音様の真似をしました。その時、私は見ました。今まで気付かなかった左の二の腕の内側に、1センチ位の大きさで『リン』と書かれた青い字の刺青を。思はず目をそらしましたが、その時、真一さんの気持ちが、しっかり伝わった気がして、同時に他人事の様でありながら、私はこの人の奥さんになるんだという確信のようなものが、しっかりと感じられました。刺青の事は、ずっと触れられる事はありませんでした。多分真一さんにとっては、私に知って貰う必要もない事だったに違いありません。しばらくして手をほどいた真一さんに、今度は私の方から「すいません。もう1度観音様の真似をして、しっかり目を閉じて下さい」とお願いしました。そして、袋から、紐で結び、白い和紙に包んだ私の髪をとり出し、そっと真一さんの左手にあてがい、「しっかり握って下さい」と言いました。思はず目を開けた真一さんは、一瞬驚いた様子でしたが、ニコニコ笑いながら、大きな声で「ありがとうございます」と軍隊風におどけてくれましたが、その瞳には涙が滲んでいました。
駅へ帰る橋の上で、後ろをついて歩く私に、風で言葉を運ぶように歌ってくれました。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
当時の若者ならすぐ分かる、島崎藤村の『初恋』でした。川上から吹きつける風と一緒に、吸い込まれるように身体に入ってきました。
別れの時がきました。やはり見送る役はあの方でした。「それじゃまた。向こうからも手紙を書きますから。リンさんお元気で。」「どうかご無事でお帰り下さい。待っています。」人目につかないよう、ホームの柱と日傘に隠れながらでは、これだけ言うのがやっとでした。軽く会釈して乗車口に足をかけ真一さんの方に向きなおりました。発車のベルが鳴ります。その時思はず私は、ホームに降り立ち、真一さんの胸にとび込みました。突然の私の行動に、しばらくは泳いでいた真一さんの手が私の肩にまわされました。そして、その手にがっちり抱きすくめられようとする瞬間、私は真一さんの腕の中をするりと抜け、動き出した列車にとび乗り、反対側の乗車口にうずくまっていました。涙があとからあとから湧いて来て、止まりませんでした。栗原さん、以上が私の2度目のデートのお話です。今は老婆のこの私が、こんな事を思い出していたなんて、若い貴方には想像もつかないと思い、話す気にもなりませんでした。お許し下さい。」
可愛い孫達よ、お国の為、天皇陛下の為に死ぬ事が、当たり前のように考えていた、沢山の若者がいた頃の話じゃ。2度目のデートの時、真一は死を覚悟してリンに会いに来たのだし、リンさんはその事をおぼろ気ながらも感じていた。そんな2人のデートの話じゃった。2人の今後については、次回の事としよう。可愛い孫達よ、時には死というものを考え、恐くなり、眠れなくなる事もあるじゃろう。そんな時はジータを思い出すんじゃ。ジータはそんな時、君達を見つめている。
文芸作品
お互いに 健康願い 退院日
同部屋に 仲間に別れを 祈る健康
お互いに 大事に過ごせと 祈る健康
筆ペンの 走るに頼む ボケ川柳
病床に 別れを告げて 帰るあばら家
病床に 暇をつぶせる 一句あり
池嶋 紫川様
朱咲にて 友と語らう 楽しさよ
介護する 職員さんに 感謝する
老人を 元気づけてる 朱咲かな
居なくなる 女房がますます 好きになる
子供らの 温かい心に 涙する
高橋 昭平様
白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
忘らるる 身をば思わず ちかひてし
人の命の 惜しくもあるかよ
齋藤 藤枝様
近づけば ピタと鳴き止む 蛙かな
柳澤 照子様
紫陽花に かたつむりたち 群れており
佐藤 美恵子様
風鈴と よしずと過ごす 夏の夜
縁台外に 団扇片手に
高橋 三佐男様
風鈴が なる風ほしや 部屋の風
星野 武司様
ばらの花 机上の花瓶に りんと咲く
村田 順子様
幸せが 天まで届け 天の川
坂本 正之助様
笑い合う 目線は同じ いい仲間
小倉 敏夫様
たなばたに お金が入る 夢を見た
小林 正雄様
今月の行事予定
☆療養棟三階☆
11日 買い物ツアー
18日 うどん作り
25日 お誕生日会
31日 花火大会
☆療養棟二階☆
11日 買い物ツアー
17日 うどん作り
24日 お誕生日会
31日 花火大会
☆朱咲の家☆
31日 お誕生日会
未定 かき氷大会
☆星辰の家☆
6日 ひまわり楽団
18日 お誕生日会(不二家)
24日 花火大会
☆明月☆
DS・GH合同 流しそうめん
DS お誕生日会・ドライブ
GH スイカ割り
榛名湖ドライブ
ドライブ
☆GHしらさぎ☆
31日 しらさぎ小祭り
未定 お誕生会
未定 おやつ作り
☆春らんらん☆
6日 星辰の家音楽会見学
10日 GHお茶会
24日 流しそうめん大会と誕生日会
☆DSゆめさき☆
4日 ブッチーライブ
6日 納涼祭
10日 久保さんのカラオケショー
16・19日 お誕生日会
22~24日 おやつ作り
25~27日 映画上映会
☆GHゆめさき☆
7日 納涼祭・家族会
20日 お誕生日会
28日 夕涼み会
☆あかしあの里Ⅰ☆
7日 日輪寺祭り
12日 おはぎ作り
下旬 納涼祭
☆あかしあの里Ⅱ☆
4日 流しそうめん
7日 日輪寺納涼祭参加
13日 前橋花火大会鑑賞会
下旬 外食予定
☆あかしあの里Ⅲ☆
12日 お誕生日会
20日 手作りおやつ
未定 花火大会
☆通所リハビリ☆
3~6日 納涼祭
6日 まむれ太鼓
22、23日 お誕生日会
27日 ヴィクトリー川田&ブルーサウンズ
いくこフラサークル
☆わきあいあい☆
10、11日 流しそうめん大会
16日 誕生日会・外食ツアー
☆涼風の家☆
20日 くらぶちの夏祭り見学
未定 流しそうめん
委員会便り
行事企画委員会
今年も感謝祭の季節が近づいてきました!!
毎日暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしですか?
今年も感謝祭を開催いたします。今年は3月の東日本大震災の影響もあり節電や助け合いなど、それぞれの人達に感謝を込め、感謝祭のテーマは「一致団結して助け合おう」と決定しました。予定としましては、被災地へのボランティア報告・災害時に役立つ便利グッズ・募金・バザー(収益金は義援金として寄付いたします。)など楽しみな企画が満載となっています。
開催日程は10月2日(日)を予定しております。詳細につきましては、来月号のさんぽみちでお知らせいたします。皆様方の参加をお待ちしています。
第14回介護老人保健施設作品展のお知らせ
今年も老人保健施設作品展が開催されます。日頃リハビリやレクリエーションなどの一環として作られた作品を展示しています。たくさんの方に見ていただけたらと思います。是非足を運んでみてください。
日時 平成23年9月7日(水) ~ 9日(金)
7日 13時~18時
8日 9時~18時
9日 9時~15時30分
会場 群馬県庁1階 県民ホール (北側)
編集後記
8月号のさんぽみちはいかがでしたでしょうか?
どこの施設も趣向を凝らした行事ばかりでとても参考になります。少しでも利用者様の笑顔のために、これからも色々取り入れて頑張って行きたいと思います。
さて今年の夏はとても暑い日が続きますね。皆様は夏バテなどしていらっしゃいませんか?自分の解消法は温泉施設へ行ってのんびりお湯に入りその後、マッサージを受ける事です。温泉で適度に汗をかいてマッサージでリラックスと身体のメンテナンス!最近は近場にスーパー銭湯が沢山出来ているので色々まわってみるのもいいですね。皆様の夏バテ解消法、予防法は何でしょうか?後でこっそり教えてくださいね。
広報委員 常味 竜也